Habby中野

レオノールの脳内ヒプナゴジア(半覚醒)のHabby中野のネタバレレビュー・内容・結末

3.8

このレビューはネタバレを含みます

さすがに変映画すぎて声出たわ。へんてこ、現実に対する、へんてこ。世界は語られて初めて存在する、ではなくて、もう少し手前に生まれる。書くことで生まれる世界とその手前にもう存在している世界。そのどちらもへのアプローチと肯定を─つまり現実と映画両方の肯定を、試みる方法としての映画in the 脳内ヒプナゴジアin the 映画in the 映画。これを見て混乱する、その状態こそがこれらのあらゆる重なる世界を肯定し、思考することへと直結しているのだとしたら、いまここにいることの強度が少し上がる気がする。世界が生まれる瞬間に生まれる境界に引きちぎられないで、どちらもに身体を置いておくこと。眼差すこと、認めること、演じること、書くこと。カメラを止めるな?いや、世界に触れること、その身体性を肯定すること、演じること、書くことを、止めるな。目の前にスクリーンがある、紙がある、キャンバスがある─もっと言えば、他者があり、現実があり、夢がある。その向こうにもこちらにも世界がある。その存在はどちらか片方のための理由ではなく、相互的な均衡の形でもなく、直ちに─いかなる時も─ただひたすらに、何らの加害性もなく、存在する。霊と生者が話すように、レイヤーが違うだけで、あらゆるものは共存している。宇宙は存在し、脳は存在する。あなたはいるし、私はいる。いつでもなく、どこででもなく。
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