完全に度肝を抜かれた。
フィリピン映画と聞いて正直ピンと来ていなかったけど、本当に良かった。
メタ要素や映画的フィクションなどのアイデアも面白い使い方ばかりだし、何より映像の質感もかなりクオリティ高く感じる。
作中では、劇中劇であるアクション映画と現実世界が並行して進んでいくわけだけど、両者で映像の空気感が全然違っていて、とても器用というか、センスと技術とを併せ持っている監督なんだなと思った。
あと主人公のおばあちゃんがとってもキュートだなと。調べたら元は舞台俳優さんってことで、映画には初出演らしい。
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自分はこんな、ある種のおバカ映画(言い方間違っていたらごめんなさい)へも、どんなテーマがあるのかなあと考えてしまうタチなのだけれど、本作はやっぱり「映画」そのものについて描いた作品だという気がする。
本作の登場人物たちは、劇中のアクション映画の中に飛び込んでいく。まだ未完成の映画に飛び込んで、ときには失敗もしながらストーリーを塗り替えていく。
これはもちろん映画的マジックなわけだけど、大事なのは、この映画の観客である私たちも映画のスクリーンをすり抜けて、カメラのレンズを飛び越えて、物語を変えていくことができるんじゃないかと思わせてくれるということだ。
映画というのは誰かの人生を描いている。
架空の設定だったとしても登場人物たちにはそれぞれ人生がある。
映画=人生なのだとしたら、本作でレオノール達がそうしたように、私たちは自分の人生や誰かの人生を良いラストシーンへと「編集」することができるかもしれない。
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上記のようなテーマを描くために、本作はひたすらに「第4の壁」を突き破ってくる。
メイキング的な映像や、監督や脚本家と思しき人物の会話、ラストシーンでのカメラ目線など、徹底的にこれがフィクションだということを意識させられる。
逆説的なようだけれど、そのような演出がかえって、観客とカメラとの間の「壁」を曖昧にさせるというか、その壁に扉をつけて、境界を自由に行き来することを許されているような気分にさせられた。
このような世界観は個人的に結構好きで、他にも濱口竜介の『親密さ』でもやり方は違えど目指すところは同じだと感じる。