じゅ

旅するローマ教皇のじゅのネタバレレビュー・内容・結末

旅するローマ教皇(2022年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

なんかいいじゃん・・・って気分になりたくて行った。全然そんな空気じゃなかったな。邦題の「旅する」の部分がまったりした雰囲気を匂わせてるように勝手に感じたけど、ローマ教皇が旅する理由といったらそりゃあまあ世界の諸問題への意識付けだわな。


ローマ教皇フランシスコ。2013年から9年間、37回の旅で57ヶ国を回った。
海難事故で亡くなった移民をはじめ、難民、奴隷労働、差別、貧困、それらへの無関心により軽んじられる命、宗教や金や政治的思想による正当化で繰り返される戦争で奪われる罪のない命についての問題を語る。教皇猊下の旅は欧州、中東、アジア、アフリカ、中南米、北米と全世界に辺り、各地で団結と平和を訴え、それらに向けた人々の営みを讃え、反する思想・仕組みを非難した。正教会やイスラム教、ユダヤ教の代表者とも対面し、皆兄弟であり如何なる殺しも教義に反することを強調した。教皇猊下の下のカトリック教会で発生した性的虐待の証拠が挙げられると、それまで具体的な言及を避けていた自らの姿勢を含めて謝罪した。
なおも教皇は、戦争の止まぬ世界のため、弟を殺したカインになぞらえてカインの手を止めてくれるよう祈りを続ける。


みんな兄弟だ繋がろうとか、平和を目指そうとか、どう正当化しようが戦争は悪だとか、武器なんて売ってんじゃねえよとか、貧困が宿命だなんてそんなわけねえだろとか、皆で夢を見ようとか、叶わない夢でもいいじゃねえかとか、皆で夢を持てば世界は少し良い方に変わるかもしれないとか、そうだなあと思う。まあ実際は、っていう考えは当然あろうし、てめえが何を知ってんだっていう反感もあるかもだし、夢見がちな綺麗事で何も変わらんって言われればその通りとも思う。
けど、理想とかあるべき姿を追求する宗教という営みの、その頂点に立つ教皇の立場にある人物だからこそ、そんな夢見がちな綺麗事を語る意義があると思ってる。決して少なくない人たちにとって理想を象徴する存在でその姿自体が希望の光であるような教皇猊下が、誰が見るかも知らねえ旗を振り続けるってきっと重要なことで、それをやめてしまったら悪い状況はもっと悪くなるのかも。

無関心のグローバル化で我々は涙を流す力を失ってしまった、みたいな話だけはほんとかなあってかんじ。言ってしまえば、俺たち元々対岸の火事を見て涙を流すような優しさは持ってなかったのではと思ってる。教皇猊下の真意を俺が理解しているかは不明。


地味に印象的だったのが、貧しいっぽい国では大衆の前に出てきてて、富んでるっぽい国では大衆を動かす高官とかの前に出てきてたとこ。
まだ貧しい場所では大衆の皆に向けて生きるのを諦めるなと、金持ってる場所では欲を出して外にいる大衆から余計に奪うのをやめろと言ってたのかなと振り返ってる。結局、行く先々で教皇が気にかけていたのは常に市井の一人ひとりの人たちだったんだと思う。


2019年に日本に来てたのはまじで知らんかった。今のところ唯一の被爆国ってことでか。
日本が唯一の被爆国じゃなくなるような事態は、未来永劫起こらなきゃいいな。
じゅ

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