くまちゃん

脱・東京芸人のくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

脱・東京芸人(2023年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

お笑いコンビソラシドは本坊元児と水口靖一郎によって2001年に結成された。
よしもとクリエイティブ・エージェンシーが運営する劇場「baseよしもと」で日々ネタを披露し、気心の知れたライバルと共に鎬を削っていた。NON STYLE、笑い飯、千鳥、アジアン、天津、南海キャンディーズ、今では見ない日はない後の人気芸人達が次々と主戦場を大阪から東京へ移す中、ソラシドもそこへ便乗しようと試みた。
鳴かず飛ばずでレギュラー番組をもってるわけでもない、パッとしない芸人が東京進出をはかるなど前代未聞。当然会社は反対した。大阪で売れないやつは東京で売れるわけがないと。それでもオーディションから一からやりたいというソラシドの無謀な熱意に吉本興業は渋々承諾した。

東京では大阪以上に厳しい現実が待ち受けていた。お笑いの仕事はほぼなく工事現場でのアルバイトに明け暮れる日々。最終的には大工となり収入も月20万〜30万と安定してきていた。これで生活するには困らない。しかし、本坊の中には複雑な思いが渦を巻く。芸人として成功したい。他の職業で富を得ても彼の心の渇きを潤すことはできない。
彼の悶々とした気持ちはTwitterへ投稿され、そのネガティブな内容が話題を呼び「プロレタリア芸人」を上梓するに至る。このまま副業をネタにしたら売れるのではないか?そんな思いが頭をよぎる。だが、仮にそれで売れたとして、副業を辞めてしまったらネタがなくなってしまう。本坊はあくまで芸人として成功したいのだ。本業が軌道に乗ればいつでも副業を辞めるつもりでいる。芸事と副業を安易に結びつけることは多大なリスクを孕む。

そんな時、吉本興業から地域移住の話が持ちかけられる。2011年から吉本興業が取り組む「あなたの街に住みますプロジェクト」。仕事を選べるほど余裕はない。藁にも縋る思いで参加を決めた。場所は山形。理由はたまたま空いていたから。山形など縁もゆかりも無い。雪国自体が初めてだ。地元民に畑、竹林付きの古民家を月100円という破格の低価格で借りると、やったこともない農業に従事した。ただ農作業をやるのではただの農家だ。少しでも芸人らしさを演出するため「ジョーカー」のコスチュームに身を包み畑を耕した。近所では変な格好で畑作業をする長身の男がいると不審な噂がたったという。

そこは長年放置されていた土地。道具もない中、鍬一本で土地を整地する本坊。耕作放棄地は病害虫や雑草の発生、野生動物の侵入、ゴミの不法投棄など今や社会問題となっている。この土地も同様だった。汗と涙を執念に変え少しずつ絶望を掘り起こしていった。
手始めにそこにほうれん草を植えた。作物が病気にならないように、養分と水分を吸収できるように、美味しく大きく立派に育つように愛情込めて雑草を間引いた。
やがてほうれん草は自身と同じぐらいの大きさに成長した。
彼はほうれん草と雑草を見誤っていたのだ。ほうれん草を間引き雑草を育てていた。

農業に失敗は付き物だ。本坊は大根とニンニクを栽培しマルシェや道の駅、吉本興業東京本部で販売し世間の注目を浴びていく。芸人が農業をやっている。その現象だけではなく栽培した作物自体も評判はよかった。山形屈指の豪雪地帯でギックリ腰になりながら大根を救出した甲斐があった。赤サビに侵されながらも諦めずに収穫してよかった。本坊は少しずつ農業の魅力に取りつかれていく。

野菜を作るには肥料で土壌の成分を整えなければならない。長年手がつけられていない場所なら尚更だ。だが彼にそこにかける費用はなかった。コンポストを設置し生ごみ等で天然の肥料を作ることにした。コンポストの中に放り込むだけだがこれが中々楽しい。食べかけのおにぎりも面白がってコンポストの中に入れるようなことを続けていたら体重が5kg減った。コンポストダイエット。

山形での生活も慣れてきた頃、衝撃的な事件が発生する。家の二階でたぬきが死んでいたのだ。パニックになってツイートする本坊。この日は日曜日。役所は閉まっている。安達マネージャーと協力しながらたぬきをベニヤ板にに乗せて運ぼうと試みる。しかしベニヤ板が大きすぎた。階段を通れない。窓から屋根に出し、ハシゴを使って下までおろすことで事無きを得た。
ドラム缶でたぬきを火葬し、敷地の端の方に埋葬した。そこへは「たぬきの墓」と書かれた立て看板が突き立てられた。
ちなみに業者に依頼すれば2000円で全て解決できる。

山形へ移住してから運も向いてきた。農業をやりながら少しずつ芸人としての仕事に繋がっていったのだ。大阪や東京に呼ばれる機会も増えた。だが、ここでまた彼の活動に暗雲が立ち込める。コロナである。せっかく得た仕事も軒並みなくなってしまった。
テレビタレントの多くは仕事を失い何ヶ月も自宅待機が続いた。そんな中、本坊は1人忙しかった。芸人は人との仕事なためパンデミックの影響をダイレクトに受けた。しかし農業は自然相手の孤独な作業なため、感染拡大とは無縁である。かつてソラシドは20年もの間芸人として売れずに燻り続けていた。他の芸人に仕事がある時自分にはなかった。なら逆もあるはずだ。他の芸人に仕事がない時、自分にとってチャンスなのではないか。失うものなど何も無い地獄ならとうに見た。本坊はコツコツと目の前に広がる農作物と自分を受け入れてくれた広大な土地に向き合い続けた。

地元民から信頼を得た本坊は役所の職員からカボチャの栽培を進められる。
トウモロコシの収穫途中で大根とニンニクが後に控えていたためこれを丁重に断った。本坊はカボチャが実をつけている所を見たことがない。ただでさえ忙しい時期に新たな未知の作物を開拓する余裕も土地もなかった。後日、TV番組の密着ロケの途中役所の職員と遭遇した。カボチャを分けてくれるというのだ。
頂いたからには捨てるわけにはいかない。ニンニク用のエリアにかぼちゃの苗を全部植えた。その数120株。500個ほどの実をつけると予想されたが現実は遥かに上回り800個近かったそうだ。
冬至南瓜を栽培する隣家が様子を見に来た際引き気味に言った。この広さなら4株程度が妥当だと。
本坊元児の元に何度目かの絶望が訪れた。

本坊はこれまで作物を直売という形で販売してきた。しかし中々収益につなげることは難しい。同プロジェクトの他の芸人たちは地元企業とタイアップしてそこそこの売上をあげている。その中で大切に育て苦労して収穫した大根が3000円4000円になったところで鼻で笑われるだけだ。そんな本坊ファームにも是非大根を使いたい、カボチャを使いたいと言う問い合わせが少しずつあがってきていた。大根は漬物となり、かぼちゃはプリンとなった。この頃から本坊には農業に対する責任感が芽生えた。今まではホウレン草を間引いても「できなかった」で済んだものが、企業と提携することで失敗が許されなくなった。それは信頼の失墜を意味するからだ。今まで味わったことのない大きなプレッシャーを感じながらも農業へのやりがいを噛みしめる。
芸人が片手間で農業をやって少し高い値段で道の駅で売る。それを専業農家が見たらどう思うのか。周囲の自分に対する視線がずっと怖かった。自分は受け入れられていないのではないかと。道の駅の館長から渡された地元農家からの手紙には本坊へ対する農業に関するアドバイスが認められていた。本坊は山形を褒めたことはない。農作業は大変だし雪も多い。それでも山形県民は西川町民は本坊元児を受け入れ応援している。だがそれは山形県民が優しいというだけの理由では無い。本坊の農作業を手伝いに古今東西様々な芸人仲間が駆けつける。先輩も後輩も泥にまみれながら笑い合って汗をかく。カメラをまわす安達マネージャーも終始笑い声が絶えなかった。ここには本坊元児の真面目で温和でユニークな人間力があり、それが他者を魅了するのかもしれない。今作鑑賞後、誰もがソラシド本坊のファンになっている。彼にはそんな中毒性があるのだ。
くまちゃん

くまちゃん