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バカ塗りの娘のharunomaのレビュー・感想・評価

バカ塗りの娘(2023年製作の映画)
2.6
堀田真由は猫か。
「存在の問いと歴史」
校庭を横切り(素晴らしいロングと連れ立ちの歩き)、体育館裏の、小さな窓をくぐって侵入する廃校の母校のピアノの冒険は唯一いいとして、平均律クラヴィーアでよかったのか。彼女があの工房に、この地に幽閉されている理由はなく、漆塗り以外での実社会でのコミュ障具合いは何だろう。生っぽい、ほぼ等身大以下の、ある脱力の下の主人公を捉えるには、ガレル的なプリミティブな息の強度、その持続のリズムが決定的に不足しているがために、存在でも存在者でもなくただのモチーフとなっている。
社会空間の中で不意に宙を見つめる堀田真由の瞳のあり方は、単純な常識のシーンの一コマに転換されてしまう。徴は至る所に。
前半部、ある種の満身創痍の中、路上を行く堀田真由が、初めて登場する母親からオフで声を掛けられ、堀田真由の振り返りのアクションつなぎのショットがおそらくこの映画のベストか。Blu-ray特典のポストカードにもなっているくらいだから、そうなのだろうが、この時間の引っ張りの時の彼女の表情はまぁよかった。

この弛緩した時を、持続とも長回しとも、あるいは職人の、手の反復とも呼ぶまい。活劇の不在=炸裂のなさ。
堀田真由をしていくつかの記憶の掛け合いの顔では確かにあるが、果たして主演と言えるのか。
小林薫にはもはや、「秘密」はなく、公然、とてもつまらない公然。ただ困っちゃくれた頑固爺の視線の先には何もありはしない。ダメ親父役が決してヴェンダースではない役所広司であったらどんなによかったか。

祭囃子から入る弘前ねぷたまつりのインサートは最低のインサート。『サッドヴァケイション』の不意打ちのような転換の祭りの描写、アチュンを肩車までしている、に比べるとこの作家の祭りのモチーフはもはや記号以下と化している。
漆に見せられる工房での闇の中の夕日のハイライトの中の顔も、岸辺の旅の深津絵里が対峙する花盛りの壁画に比べると弱い。
取り巻きの魂の、母の主題が忘却される青森暮色。実を言うとあの冬の夜行列車が映らないことが、この映画の最大の弱点ではあった。山田五十鈴、度が足りない。あるいは傍若無人な憎しみが。溝口健二、縦構図の長回しのアクションは、1カット性であるどころか、いくつにも多層的なモンタージュの原理そのものだった。だから粒子の、慄えのない時間がただただデジタルに写っていることは、感情の変化する、その持続とは言えない。
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