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ミッシングのレントのネタバレレビュー・内容・結末

ミッシング(2024年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

ミッシング、失われた社会とのつながり

行方不明の娘を探す夫婦の姿を通して、報道とSNSの相互作用が生み出す現代社会の問題を如実に描き出した衝撃の人間ドラマ。

藁にもすがる思いでテレビの取材を受け続け、SNSにホームページを開設したり、ビラ配りを続けたりと何としても娘の手がかりを見つけたい沙織里たち夫婦。しかし得られる情報は不確かなものだったり冷やかしだったり、挙句には悪質ないたずらだったりする。
その上、テレビの報道がきっかけで沙織里の育児放棄が原因などとネットリンチを受けるまでに。
目撃情報を得るためにネットの書き込みを見続けた沙織里。被害者である自分達がなぜここまで攻撃されなければならないのか。いつしか知らず知らずのうちにそんな誹謗中傷の書き込みを探すために見続けてることに彼女は気づかず泥沼にはまってしまう。

まるで世間全体が自分たちの敵になってしまったかのように感じる。娘を取り戻したいだけなのに、なぜ世間は自分たちに牙を向けるのか、いつからこの世は腐ってしまったのか。
テレビ取材も好奇心で行われてると思いながらも、頼みの綱である報道を利用しないわけにはいかない。いつしか悲劇のヒロインを演じている自分がいることに彼女は気づき自己嫌悪になる。

ネットの心無い誹謗中傷を受け続けた沙織里は心を蝕まれてゆき、自身が弟に対して酷いメールを送ってしまう。面と向かってはとても口にはできないような言葉を投げつけてしまう。それこそがSNS上で彼女が受け続けた誹謗中傷と同じものだった。まるでネットを通して自分自身が毒されていくかのようだ。

マスコミとSNSに翻弄され続けた二人。それから二年の月日が流れて世間では事件はすっかり忘れ去られていた。そのおかげかネットでの書き込みは収まっていたが、娘はいまだ見つからず二人は今も惰性でビラ配りを続けている。

そんな時、以前同じく行方不明になって無事保護された少女の母親が声をかけてくる。自分たちにも協力させてほしいと。仕事先の女性も妊娠して協力したいと申し出る。
失われたと思っていた社会とのつながりはけして失われてはいなかった。自分たちをとりまく社会はけして自分たちを見捨ててはいなかった。
SNSを通して敵だと思っていた社会はけして敵ではなかったのだ。社会とのつながりを感じた二人は暖かい光に包まれる、虹色の光に。
登校する娘と同い年くらいの少女が沙織里に微笑みかける。傷ついた彼女の心は暖かい光に包まれて癒されつつあった。


SNS上でいまだ繰り返される誹謗中傷。何人もの犠牲者を出しながらも一向に改善される気配はなく法規制もされつつある。
ネットにより皆が自己主張をしやすくなった現代では不確かな情報をもとに憶測で己の正義感を振りかざし、相手を攻撃してしまうことが起きている。
それは報道による情報をもとになされる。事実を報道するのが報道の役目だ。しかし何でもかんでも事実だからと公開してはいいものだろうか、公開するタイミングや公開することによる影響も考慮する必要があるのではないか。公開することによるメリット、デメリット、それぞれ天秤にかける必要もあるのかもしれない。
また報道しぱなっしでも許されないだろう。サービスにはアフターフォローが必要だ。自分たちが流した情報がどれだけ社会に影響を及ぼすのか。誤報は当然だが、社会に誤解や偏見、憶測を与えかねないような報道は改められるべきであるし、それら憶測などによってネットリンチが起きてしまっている実態がある。

誹謗中傷が絶えないのは個々の正義感からくるものだろうが、それがいつしかネットリンチに発展してゆく。悪いものは徹底的に懲らしめるべきだ。政治家のスキャンダルをものにしたディレクターは得意げに語る。自分が正義の鉄槌を加えたかのように満足感に浸る。このような意識は今やネットユーザーに共有されている。それらが憶測やら偏見だけで一斉に書き込みをする、一つ一つはたわいもない書き込みでもそれが蓄積されれば受けた人間にとっては大きな津波に見舞われるようなものだ。
そのようなネットリンチにつながる憶測やら偏見を生まないよう正確な情報発信を報道機関はは心掛ける必要があるし、ユーザー自身にも軽はずみな書き込みをしないようネットリテラシーが要求される。

さすがの吉田作品、すごく見応えがあったし、主演をつとめた石原さとみの演技に圧倒された。かわいらしさが売りの女優も年齢を重ねて大きく脱皮したという感じ。
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