くまちゃん

劇場版 シルバニアファミリー フレアからのおくりもののくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

3.3

このレビューはネタバレを含みます

今作は成人男性が1人で鑑賞するには多少勇気を要する。チケット購入時の「シルバニアファミリー1枚ください」と言った時の気恥ずかしさ、ゲートを通る際入場者特典を渡し忘れかけられる具合の悪さ、広い劇場の中に映像を確認するスタッフと自分しかいない気まずさ、そして80分というこの手の映画にしては微妙に長い上映時間。丹田のあたりかじわじわと沸き立つ羞恥心を鍛え上げた内功で押さえつけ、周囲の視線からは難しい顔を作り評論家ぶった相貌を呈することで乗り切った。並の人間ならば恥辱のあまり、顔から火が吹くに相違ない。無論、親子連れならなんら問題なく鑑賞できるのだが。
内容はわかりやすく、子供向けでありながら大人にも刺さる金言もあり、非常に楽しめる。キャラクターたちの愛らしさから放たれる究極の癒やしは疲弊した労働過多な日本人の精神を優しくときほぐしてくれるはずだ。

ショコラウサギのフレアが母テリーの誕生日プレゼントと星祭りにお披露目する「今年の木」という二つのサガシモノを模索する単純明快なストーリーライン。父フライジャー、弟ココ、妹クレムはそれぞれ愛するテリーのためのプレゼントを用意しているが、フレアはうっかり失念していた。焦るフレアがとった行動は周囲への聞き取り調査。母を想い手作りしたプレゼントはどれも素晴らしいものだが、友人や村に寄贈してしまう。それはそのプレゼントが一番相応しい相手に送るというフレアの優しさ。

そんな折り、フレアに嬉しい知らせが届く。年に一度の星祭りにおける今年の木を選ぶ大役を仰せつかったのだ。なぜ毎年木を選ぶのか?村全体を一望するとヨーロッパ風の木造住宅が目立つ。フレアがライラと作った独創的な楽器にも角材らしき材料が使われていた。つまり木材は村を維持するために重要な資源と思われる。恐らく森林伐採による緑の減少を食い止めるべく実施される緑地化事業の一貫なのかも知れない。いや、そんな事はどうでもいいのだ。
ブルースはかつて、今年の木を選んだ経験がある。この素晴らしいシルバニア村が自分にとってどういう存在なのか考えれば自ずと答えにたどり着く。それが特別な一本を見つけるコツだとブルースは言う。そしてそれは母の誕生日プレゼントを選ぶことにも通じている。

妹のクレムは幼いながらもアイデンティティを形成し独自の思想とそれを伝える語彙力と表現力を持っている。考え、悩み、立ち止まりかけたフレアにクレムは言った。ボールは持っていても何も始まらないと。投げることで跳ね返ったり誰かが投げ返してくれる事もあるのだと。中々含蓄のある言葉だ。フレアは自認している通り考えるより行動派な性格をしている。クレムの言葉はそんなフレアの性格を考慮し、自分らしく行動することで何かしらの結果を得られると言っているのだ。
ボールを投げ続けた結果、失敗もあり、他人に迷惑を掛けることもありながら星祭りの今年の木を兼ねた母への最高のプレゼントを用意することができた。

シルバニア村は優しさに溢れている。ここは争いのない、我々からしたらユートピアなのかもしれない。

今作は全編フルCGで描かれており、キャラクターたちのフロック加工された細かな毛並みも再現され細かく丁寧なスタッフの仕事ぶりを確認できる。しかしそれならば実際の人形を使用したコマ撮り撮影の方が良かったのではないか?絵で描かれたアニメーションならキャラクターの表情や挙動の一つ一つに荒唐無稽な自由があるためアニメーションにする意味はあるだろう。所が今作ではCGを使用し明らかに人形である「シルバニアファミリー」のテクスチャを模している。これは果たしてCGにする必然性はあったのだろうか?また人形っぽいキャラクターとグラフィック感満載の背景は馴染みきっておらず少々違和感が残る。昨今は映像技術が発展し特撮やストップモーションといった古来の撮影手法は廃れ始めている。新しい技術に比べ時間もコストも掛かるためだろう。新旧技術の使い分け。そんな「ジュラシック・パーク」的な撮影方法が理想なのではないかとしみじみと感じた。
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