岡田秀親

花腐しの岡田秀親のネタバレレビュー・内容・結末

花腐し(2023年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

2023/11/22

朝から『ゴジラ−1.0』を観たあと昼食を経て、なんばパークスシネマで14時15分の回から荒井晴彦監督『花腐し』を観た。
水曜日のサービスデーだったので1300円。
「映画芸術」485号に掲載されているシナリオを事前に読んで観た。

※ネタバレありで、感想を書いていきます。

シナリオを読んだときは、時制がころころ変わるので描かれている時代が混乱しないか不安に思ったが、映画を観ると、現在を白黒、過去をカラーにしているので、いつの時代というよりも、語られている話の回想だというのがわかれば混乱しなかった。

そして、シナリオを読んだときは、ここで終わるの?と意外に短いと思ったが、映画は私がシナリオを読んだときの想像を遥かに越えた描写にあふれ、一つ一つの場面が濃密で退屈しなかった。

映画は、初めて知り合った男二人(綾野剛と柄本佑)が世間話をしているうちに過去に付き合った女の話になり、それを互いにポツポツ話す、その内容が過去の映像として挿入されるという構成だ。

観客には男二人のそれぞれの女が、桐岡祥子(演じるのはさとうほなみ)という一人の女だとわかるのだが、男二人はそんなことに思いもよらず、それがいつ判明するのか気になって、男二人の会話劇を最後まで観てやろうという気にさせる。

男二人の会話の最中も、過去の男と女との場面でも、煙草を吸い、酒を飲み、食事を食べるシーンが多い。
会話をしながら、それを分け合い、言葉のないコミュニケーションとして饒舌に描写される。

荒井晴彦は『火口のふたり』でも食事の場面が印象的だったのだが、『花腐し』でも綾野剛とさとうほなみが鍋を囲み、豚肉をよそい、それに白髪ねぎを乗せて食べ、そのねぎを噛む時の咀嚼音がシャキシャキして実に美味しそうだった。

綾野剛は柄本佑の部屋で一夜を過ごし、目覚めて柄本のパソコンの画面を偶然に見ると、そこには『花腐し』という柄本が書いたと思われるシナリオが映っていた。
そこからは異様な映画へと変わる。

思えば、綾野剛が柄本佑の部屋を訪ねようとアパートの近くの階段を上がる時に、階段の途中で雨の明確な切れ目があり、そこから雨の降る世界へと入っていく場面があったが、すでに、そこで異界へと入ったことが示されていたのだろう。

パソコンの画面上の『花腐し』というシナリオには、それまでの綾野剛と柄本佑が話していたことが書かれている。
それを読みながら綾野剛は、女との過去をこうしておけば良かったという思いにシナリオを書き換え、文字通りに過去を書き換える。

綾野剛が部屋を出て廊下にいると、そこに桐岡祥子の幽霊がやってきて、今までいた部屋に入る。
荒井晴彦は、この映画で『雨月物語』をやってみたかったらしいが、この異様な最後は、それを感じさせる。

既存の音楽をそのまま流すと権利関係で採算が合わないということもあるのだろうが、山口百恵の「さよならの向う側」が、さとうほなみのカラオケで歌われる。
エンドクレジットでは、それが流され、そこに綾野剛が加わってデュエットする場面があり感動的だ。

会話の中にときどき既存の映画の話題が出てきて、映画好きにはニヤリとさせられるものがある。
柄本佑が脚本家志望なので、別冊宝島の『シナリオ入門』がある。
脚本家志望だった私も大学生の頃に読んでいて、懐かしかった。

シナリオ講座で講師(演じるのは奥田瑛二)が、どんな名監督、名脚本家も現在は描けない、今を生きていないからだ、だが君たち(生徒たち)は現在を生きている、だから生きている人間を書くんだ、と言うくだりが印象に残った。

観客は30人くらい。
R-18+の成人映画ということもあって中年の男女が目立った。