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首のhasseのレビュー・感想・評価

(2023年製作の映画)
4.2
北野武が描く本能寺の変。本能寺の変自体はオーソドックスな解釈で描きつつも、その裏側に秘められた、信長、光秀、荒木村重の三角関係的な男色の契りを前面に押し出している。

信長による光秀への偏執的なキュートアグレッション、謀反人である村重を匿う光秀、かつて「身も心も」尽くした信長を見限り、愛する光秀に信長謀反を入れ知恵する村重。

男色関係の輻輳によって、徐々に共倒れてゆく彼らの間隙に、秀吉は極めて打算的、冷徹につけいり天下人を狙う。

百姓あがりの秀吉に、武家文化である男色、衆道は根本的に理解できない。また、本能寺で信長を討ち取ったことを示すために信長の首を死に物狂いで探す光秀と対照的に、秀吉は山崎の戦い後、光秀の首に興味を示さない(死んだ事実があればよい)。農民から成り上がろうとする茂助(中村獅童)も出世のため侍大将級の首を取ることに必死だが、秀吉からしてみれば、「誰」を討ち取ったかより、「何」を成したかのほうが重要なのだ。

秀吉は信長ら根っからの武士とは違う倫理を持っていて、それが彼の強さである。芸人や忍を使って彼らの裏をかき、落とし穴にはめてしまう。

武士という支配層における当たり前とされる価値観、慣習を、内部から小馬鹿にし、突き崩し、淡々とステップアップしていく秀吉のキャラクターは秀逸。何より、北野武本人が秀吉をやることによって、より毒のきいたコント味が増し、もっともらしい武士の倫理は滑稽に見えてくる。そういうシーンになると、「羽柴秀吉」ではなくお笑い芸人としての「ビートたけし」が現前して見えてきて、多層的な見方としてめちゃくちゃ面白い。
清水宗治の自刃の儀式の、しきたりに則ったもっちゃりした様子に「何ちんたらやってんだ」とイラつくのは象徴的なシーン。大森南朋演じる弟秀長も(多分小便にいって帰ってきて)「あれ、まだやってんすか?」と言う。

個人的には、支配的倫理を別の倫理でもって突き崩す、または小馬鹿にして笑いにするという一貫的構造がめちゃくちゃ面白かった。が、心を揺さぶられるインパクトにはやや欠けた。

あと、戦国時代の知識があればストーリーやキャラクターは抵抗感なくスッと入ってくるが、知らないとまあまあキツそう。海外の人にはみんな鎧着て誰が誰だかわかんないんじゃないか。
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