宙崎抽太郎

首の宙崎抽太郎のレビュー・感想・評価

(2023年製作の映画)
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『首』北野武

歴史舐めてんのか⁉︎くらいに、万人が万人に対する軽いお笑いによる殺しをしている世界。加瀬亮の狂った迫力と遠藤憲一の説得力が刺さった。スターシップ・トゥルーパーズ並みに、命が蚊レベルで叩き潰されていく世界。そして、人間は雑草レベルで、バンバン生えていく。人間が玉ねぎ同値で、何枚向いても、玉ねぎが出てきて、最後は空になる。見てるときは、ふーん、割と普通に見ていたが、見終わると、トータルに、世界がガガガガと相対化される。歴史物は、割と情が重くて苦手だし、あまり、詳しくないが、ともかく舐めている、というより、より新しいリアリティが提出されている。司馬史観ならぬ、北野私観。あたらしい歴私観の出現。権力が人権のためにある、という建前上のフィクションに対し、剥き出し利害獲得による、国の統一、成立過程は、権力の実相を皮剥きしてくれてるようで、さりげない大地震だ。

北野映画はよく見たが、ビートたけしは、ひょうきん族をちびっと見たり、バラエティで、ちこっと見たりで、お笑いのたけしが、何が面白いんだか、自分はまるで、知らなかったが、今回の【首】を見て、【笑いの原理主義者】だと思った。【首】の笑いが面白いかどうかは別にして、圧倒的に【命】を笑っている。否、命を笑う【権力≒天下人≒プレ政権】を笑っている。笑いは相対化であり、権威の貶め。シェイクスピアのころから、王をコケにできるのは道化であったが、真向こうから、頂点を笑いきったビートたけしは、首をかけて、お笑いしてたんだなと、1日経って、じんわり伝わった。殺人の迫力と、死に際の間抜けさの気だるい対比。これは、北野映画というより、【ビートたけし映画】なのだろう。

塚本晋也の【ほかげ】と北野武の【首】を同日に見て、権力にゲームされる【命の痛さ】と権力がゲームする【命の軽さ】が鮮やかに対比され、明るいバッドトリップ。

宙崎抽太郎
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