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パトリシア・ハイスミスに恋してのordinalのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

レズビアン小説家の生涯を辿るドキュメンタリーのような作品だった。

以下はあくまでも個人的な発想だが、この映画を通して、小説家に限らず作風が作家の人格全てだという捉え方は誤りであることに気づかされた。もちろん作品は作家の潜在意識から生まれるものであるが、明るい/暗い作風が多いからといって作家本人がずっと明るい/暗い人かというとそんなことはなく、ある特定の感情から発生する内的な世界観(あるときは理想郷であるときは地獄、どちらかからどちらかが生まれることもある)の捌け口として決まった創作活動を続けるのではないかとさえ思えてくる。しかしそれもまた幼少期のトラウマ(映画序盤に言及)がつくりだす、個人あるいは創造する者にとって普遍的な人格としての特性の一つなのかもしれない。
そうした世界観は個人の内に秘められるものでありながら作品として形になり利益に繋がることで逆に皮肉にもその人物の外的なトレードマークとして社会的に印象付けられることとなる。ハイスミスが好んだ塀のある家の中で掴めない観念を現実的な作品とし、形あるモノとして広く他人に認知されることには観念と創作の矛盾、創作と生活の矛盾があり、それが彼女のインタビューされることへの不快感にも直結するのではないだろうか。本人は"インタビューに蝕まれる"という主旨の言葉を残しているが、記者の恣意的な問いによって切り取られた本人の現実的な言葉や社会的認知により、文字通り言葉を操る小説家ハイスミスの内的世界観を囲う"塀"が壊されていくイメージが感じとれる。
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