面白かった。
あの震災から10年以上経ち、『ドライブマイカー』や『すずめの戸締まり』など、ここ最近の邦画は質の良いケア作品が多いなと思う。
けれど、一歩間違えれば不快さをも感じかねない描き方をするのは、岩井俊二ならではといったところ。
例に出した過去2作品は、再生へのアプローチとして、「内省」や「共生」があったと思う。
個人的に本作は、「逃避を経た再生、そして祈り」という療法が描かれていた気がした。
別名を名乗るのも、人を欺いて生活をやり過ごすのも、恋人そっくりの妹に赦しを乞う(しかも出会うまで自分からのアプローチはしていない)のも、海まできて空を見上げるのも、(不条理としての)大人の世界から距離を置いたり、さらにそれをある種邪悪なものとして描いたりするのも、そして音楽という魔法を使うのも、全て現実逃避な気がした。
しかしその逃避までをも赦して、祈りを捧げているのがアイナジエンドの歌と踊りだった。
それに加え姉の恋人を抱擁するシーンは、神聖な赦しの瞬間だった。劇中の彼女一家はクリスチャンである。
正直自分では変えられない現実や不条理から目を逸らしたくなるし、共生というアプローチだって望ましいけれど、それって人によっては地獄へ成りかねない。
だとすれば、1人でうまいこと社会から逸脱し、のうのうと暮らしていくのも選択肢として肯定されるべきではないだろうか。
そして、それを肯定してくれるのが、この映画と歌だった。大事な人が隣にいても、さておいて「ひとりが好き」と堂々と言うのを赦されたい。
とはいえ、最終的に広瀬すずは刺されてしまうし、震災の描き方はかなり痛々しかったし、自分は真っ当に誤読をしているような気もする。
まぁ芸術を誤読するのは意義ある行為だと思うのでこれでよしとする。