寝木裕和

PERFECT DAYSの寝木裕和のレビュー・感想・評価

PERFECT DAYS(2023年製作の映画)
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これは端的に言って「企業」と「特定の自治体」の映画だ。
ある企業と自治体が一体になって起こした事業があって、そこに芸術分野の人脈を巻き込み、作品めいたものを形にする。
その企業が大きければ大きいほど、宣伝力をかけられ露出も増えるから話題にもなる。

でも、それ自体が問題だとは思わない。

似たような経緯を経て生み出され、今では名作と呼ばれているものも存在するし、ほぼすべての商業映画なんて、スポンサーさまの意に反する芸術表現なんてできないだろう。

問題は、この「パーフェクト・デイズ」が、あまりにもそのあたりのことが透けて見えることだ。
ハイテクな、透けるトイレなんかよりも。

主人公・平山は、渋谷区のトイレ掃除作業員として毎日単調とも思える作業に従事し、仕事が終われば銭湯に寄り、馴染みの飲み屋で一杯やってから、一冊の単行本を寝床で読みつつ眠りにつく。

そんな慎ましやかな生活を送るのは、彼の過去になにか大きな艱難辛苦があって、そこに行き着いたと言いたいのは、分かる。

では、全ての人たちが、そんなふうに毎日嫌なことがあったとしても不平不満を言わず、与えられた境遇に満足した顔をしながら生きるべき?
それが日本の美しい「禅」的暮らしの・到達点?

… 世の中には、「とても良いことですよ」という顔をしながら、その見えない中身は利己的な利権が大きく絡んでいる… というものも少なくはない。

例えば、「環境にとても良い洗剤です!」と謳いながら、そのパームヤシの木々は、わざわざ元あった森林を、現地民の人々を安い賃金で過酷な労働環境で働かせて伐採させ、作ったものだったり…。

では、この「パーフェクト・デイズ」は、どうだろう?
どちら側を向いているだろう?

作中、平山はこんな言葉を口にする。
「この世界は一つのように見えても実は無数にあって、それらが重なったり、まったく重ならなかったりしてできている。」
この作品のこの描き方では、高いところの世界から下々の者たちが生きる世界を観察した「風味」で成り立っている… というイメージを与えかねない。
少なくとも私はそこが大いに引っかかった。

きっと現実の世界で、渋谷区の公園から排除されたホームレスの人たちは、彼らなりのやり方で、「自分の境遇に我慢して自分の居場所にいるべき。」という言葉と闘い続けていたんだと思う。
そして、アートというものは常に、大きいものに擦り寄るのではなく、地べたで闘い続けてる者のそばにあるべきものだと、私は信じたい。
寝木裕和

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