ヴィム・ヴェンダースが撮る、東京版「パターソン」の風合い。
しかし「パターソン」より人間くさく、小綺麗さもない。そこが良い。
渋谷にある、いくつかのトイレを有名デザイナー監修のもと改修する“THE TOKYO TOILET”というプロジェクトにヴィム・ヴェンダースが賛同したところから本作の企画が始まったそう。
築何年かもわからないメゾネットタイプの古びた賃貸で、毎日同じような朝を迎え毎日変わらずひたすらトイレを掃除し続ける平山。彼を演じた役所広司がまた素晴らしい。
寡黙で不器用、女慣れもしていない。
良い人のはずなのだが、どこかで苦悩と闘う暗部を感じさせる。
平山に内包されたこの人間性は彼が暮らす家によく表れている。
主な生活空間とも言える2階部分は、かなり整理されており今風に言えば“ミニマリスト”という言葉を連想させる。
地味で華はないが、彼なりの“丁寧な暮らし”だ。
しかし彼が中盤以降で寝床とする1階部分(キッチンなどがある部分?)は雑然とダンボールが山積みとなり、生活空間から想像もできない荒れ方をしている。
この山積みとなったダンボールこそ、彼が人知れず抱える悩みや苦しみなのではないだろうか。
手付かずで整理する気も遠い昔に無くしたような一室。
表面的には温厚で人間味があるが、奥の方には悩みと苦しみが絶えず、それをどうすることもできず、どうするわけもなくただそこに放置しておく。
この映画は、平山を聖人のように描いているようには思えていないのだが、この辺りに彼が抱える闇や現実逃避的なクセを感じるし、決して完璧な人間には描いていない。
「今度は今度、今は今。」と明るく繰り返されるその言葉も、まさに彼の人間的な良い面も悪い面も言い当てたセリフではないだろうか。ただ、あの明るさの中に「人間それでもいいじゃないか」という楽観的なおおらかさを感じた。
本作は、影や木漏れ日も印象的繰り返される。
影・木漏れ日の先には必ず光がある。
お世辞にも豊かな暮らしとは言えないかも知れないし、平山自身もそれに満足しているのかもわからないが、どこかに確かにある“光”によって作られる影や木漏れ日に、本作のエネルギーは向いていく。
そういう意味で、ラストカットにはふんわりとしたポジティブな力を感じた。
同じような朝、いつもと変わらない毎日も唯一無二の瞬間瞬間の連続だ。
そう人生を肯定するような、静かで優しい映画だった。
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