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PERFECT DAYSのharunomaのレビュー・感想・評価

PERFECT DAYS(2023年製作の映画)
1.0
女王陛下のお気に入り
もはや正確には2009年(アメリカ、家族のいる風景 Don't Come Knocking 2005年)頃からだとは思うが、
この元ドイツの文化帝国大臣、文化クソ野郎が、映画に関わり続けていることに、連合における共産党アレルギーよろしく、新作があるたびに最悪であるという認識は変わらない。
WWはダサい、存在の問いではない。これである。このイスラエルのWWと平城京オリピッカー極右自然主義のならあな、河瀬直美(現状『光』だけ擁護すべし)くらいであろう。そのどちらも「地獄を目まで浸して歩く」ネオファシストである。是枝はそれでもまだ商品と企画とフォルムが多少はある。
ニコラス=レイ・デリダ


音はフェードアウトして静かになる 夜祭のパンニング 花たち (『息の跡』)

「 物たちが所有するのは名前だけ 」
「 砂漠を想像してごらん 」(ゴダール/ソォーシャリズム)
 
                                    
 「 地獄を目まで浸して歩いた
  老人たちの嘘を信じ
  やがて不信のうちに
  故郷に帰ってきた 偽りの国に
  虚偽に満ちた故国に 」   

 エズラ・パウンド詩集 「わが墓を選ぶためのE・Pの頌歌」


大津波の後、あの6畳の畳の部屋で、ただ一人、闇夜の窓辺に座り小さなシェードランプの電燈の灯りを付け、消し、田畑の夜の海の中、遠くに列車の明かりを眺めていた役所広司を、遠回しに完全にパクっているこのWWは、そう、90年代に青山真治が敬愛していくつもの論考を記してさえいたWWは、デジタルシネマ以前にすでに文化に魂を売り渡し、あろうことか「東京画」で我らの笠智衆の貴重なインタビューの肉声に、自身の汚れたクソみたいな翻訳の声を英語かドイツ語で覆い被せる(笠智衆の声を下げ消し去る)という20世紀最大の蛮行を演じてみせたWWは、人間過剰への究極の侮辱(エズラ・パウンドの詩句による)、小津への究極の侮辱であるのだから、129年の映画史すべてに対する卑劣さの謂いである。
とりあえず、東京画 Tokyo-Ga (1985年)の公式の謝罪と訂正(WWの被せの声のない再編集版、同様に「寝ても覚めても」の『SELF AND OTHERS』問題も卑劣だ)がない限り、与太郎WWの新作は絶対に観ないだろう。
森喜朗とWWの違いはほぼないと言っていい。初期『都会のアリス』(1974年)、『まわり道』(1975年)、『さすらい』(1976年)の「ロードムービー三部作」だけはまだ今世紀でも見れる。
とりあえず、シェアリングエコノミー帝国主義がうつるから、尾道とか表参道とか北鎌倉とか渋谷とか、日本に来ないでいただきたい。ちなみに、あの古本屋は、青山通りの中村書店。むしろ自転車であればよかった。
小津は今のお前とはまったく関係がない。Unstoppable!!
戦時下で撮れや爺。
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