変わらないこと。変わりゆくこと。
今がどこまでも続けばいいのにと願っても、変わっていくこと。
本当に本当に素晴らしかった。
当たり前のように明日がくることの奇跡や、生きることの意味、その素晴らしさがぎゅっと詰まった小説を読んでいるような、そんな作品。
公衆トイレの清掃員である平山の毎日は、朝起きてから夜眠るまで規則正しいルーティンに満ちている。
夜明け前に道路を竹ぼうきで掃く音で目覚め、大切に育てている植物達に葉水をし、身支度を整え、毎日同じ缶コーヒーを1本買って、その日の気分に合った音楽をかけながら車で現場に向かう。
公衆トイレを隅々まで磨き上げ、仕事が終わると銭湯へ行き、いつもの居酒屋でいつものメニューを頼み、布団に入ってからは眠くなるまで本を読む。
そんな、変わらない日々の繰り返し。
だけど、なぜだろう?私はそんな平山のことが心底羨ましくて、見ているうちに涙が込み上げてきてしまった。
ふとした瞬間、見上げた木々の木漏れ日。風に揺れる木々のざわめき。
朝家を出て、見上げる空と澄んだ空気。
少し視点を変えるだけで、この世界はこんなにも素晴らしい。
それなのに、今の自分ときたら他人にも自分にも色々なことを求めすぎて、当たり前のように目の前にある、でも決して当たり前ではない奇跡みたいなことを見過ごしているような気がして。
自分のいるこの世界の素晴らしさにハッとしたのと、自分に対する情けなさと。そんな涙だったのかもしれません。
変わらないこと。
それは不安を遠ざけ、安心を運んでくるもので、だから人は、今が今のまま続けばいいのにと願ったりする。今よりもっと良くなることを求めたくなる。
だけど、自分の置かれた環境や人との関係は、自分が望む望まないにかかわらず、時間と共に変わっていくもので。
同じように見える日々でも、一日だって同じ日はなくて、毎日陽が昇り朝が来ることも決して当たり前のことではない。
今この瞬間は、今しかない。もう二度と繰り返すことはできない。でも、そんな中にも変わらないものはたくさんあるはず。
変わらないこと。変わりゆくこと。
そのどちらも愛しい。それらを両手に抱えながら、今この時を大切に生きていく。
それを知っている平山だからこそのあのラストシーンは、もう後から後から涙が溢れて止まらないくらい本当に素晴らしくて胸を打つ、忘れられないシーンのひとつになりました。
平山を演じた主演の役所広司。
セリフはほとんどないけれど、その感情や心の動きの全てが表情から伝わってきて本当に素晴らしかった。お芝居というより、渋谷の公衆トイレに行けば平山に会えるんじゃないか...そんな風に思えてくるほど、平山そのものでした。
映画を観た帰り道、見上げた空に浮かぶ月がいつもよりも美しく、胸に染みる。
改めてこの作品に出会えて、今このタイミングで観ることができてよかったと心から思います。
今のこの一瞬を、大切に生きていこう。