シネマの流星

PERFECT DAYSのシネマの流星のレビュー・感想・評価

PERFECT DAYS(2023年製作の映画)
5.0
令和の6年間で『滑走路』と並ぶナンバーワン。『PERFECT DAYS』は光と色と音が主演の映画であり、闇と沈黙と無色の助演が主役を食う映画である。浅漬けと深漬けの両方の良さが同時にある未知の漬物に出逢った感覚。大谷翔平が二刀流の可能を証明したように、ヴィム•ヴェンダースも映像芸術のセオリーを超えてきた。

役所広司が毎晩通う居酒屋は巨人戦の中継を流す。丸佳浩のヒットのあと中田翔のホームランが出る。野球は労働者の平日を包み込む不思議な力がある。役所広司の眼差しにも同じような包容力がある。

僕は昨年に会社員を辞め、売れないフリーランスの物書きをしている。毎朝、目が覚めると自分なんかこの世に要らないんじゃないかと思うことがある。

会社がある、仕事がある、居場所がある。渋谷区のトイレ清掃員の平山は毎朝大きなあくびをしながら空とスカイツリーを笑顔で見上げ職場へ向かう。新宿の摩天楼を自転車で抜ける去年までの自分だった。

小さなトイレ、押上のアパート、ダイハツの軽ワゴン車。それらは個室、千利休の茶室のような空間。平山には自分だけの本、自分だけの音楽、自分だけの小さな宇宙がある。他者によって人生の歩幅や歯車が狂うこともあるが、人生の脚本を自分で書き上げる。

ヴィム•ヴェンダースはトイレの汚物を見せない。それをすると平山の仕事が立派だと誇張してしまうから。ヴェンダースは平山の仕事を肯定も否定もしない。ただ見守る。それが映画監督の仕事だから。

会社員だった去年までは職場に行けばしゃべる人がいた。一緒にご飯を食べる人がいた。コワーキングスペースに通う今は黙々とパソコンに文章を打つ。トイレ清掃とは違うが、他人から自分の仕事は見向きもなされない。田中泯が演じるホームレスと変わらない。

平山はトイレを巡ることで毎日小さな旅を繰り返している。小さな宇宙を生きている。自分だけのロードムービーを作っている。ルーティンの繰り返しのように見えて小さな冒険を繰り返している。

他者から見れば退屈な日々に思えるだろうが、他人の眼を気にしない平山やホームレスの生き方は人間の強さであり弱さでもある。時代から逆流しながら世の中と調和している。この映画の人物とは年齢も大きく離れているが、心の握手ができた気がする。

上映中、味のなくなったガムを最後まで噛み続けた。もう止めようか時折考えながら、それでも噛み続けると新しい味が生まれてきた。そんな映画だった。
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