このレビューはネタバレを含みます
東京スカイツリーが覗く車窓。その車の中で平山が再生するのは愛聴のカセットテープの数々だなんて、一体どんな時代設定なんだ?
なんて野暮なことを思ったりもしたけれど、それこそが平山が選び取った文化なのだと後から気付く。
場面の背景に流れるのではなく、平山が車中でかける音楽=劇伴という音楽の使い方が憎らしいほどカッコよかった。この平山セレクションを知りたいがためにパンフレットを買ったくらいだ。
The Tokyo Toiletという柳井康治氏による渋谷区の公衆トイレ刷新プロジェクト。管理下のトイレには専門の清掃員が配置される。その清掃員を主人公とした短編映画を作るという当初の企画に白羽の矢が立ったのがヴィム・ヴェンダースだというのは後から知ったこと。
舞台は下町。東京スカイツリーの麓で平山は敢えて質素な暮らしを選び取り、割り当てられたトイレを黙々と清掃して廻る日々を送っている。
起床に始まる朝のルーティンも、缶コーヒを買って直ぐに開封し、車に乗り込むいわば儀式のような一連の動作にも一切淀みがない。
その同じ動作の繰り返しをつまらぬと思う素振りはなく、むしろ愛しているかのよう。
朝、髭を剃る時の平山の顔を写す構図はお洒落そのものだった。
西洋の人間が日本の下町の日々の営みを写すとこうも違って見えるのかと驚く。
平山の一挙手一投足に魅了された。
なぜ独り暮らしをしているのか。
その核心に迫ることはなく、何か複雑な過去をもつことを匂わせながら平山の車は最後まで駆け抜ける。
激しく盛り上がるでもなく、かと言って同じ動作が繰り返されるだけで終わるという訳でもない。大層渋い作品という印象。
役所広司演じる「平山」そのものを堪能したいがためにもう一度観たいと思うようになった。
それこそヴィム・ヴェンダースの術中に私は嵌ったと言えるのではないだろうか。
音楽は様々であったが、私は金延幸子の「青い魚」にとても惹かれた。「日本のジョニ・ミッチェル」と呼ばれていたらしい。それも分かる気がした。しばらく嵌って他の曲も聴いたりした。ヴェンダースの耳に留まるのも無理はないと思った。
【追記】
正直に言えば、恐らく低所得者層である平山の生活や心情の在り様が少なからず美化されていることへの違和感は禁じ得なかった。今もそれは変わらない。飽くまでフィクションと言われればそれまでだし、本作品の発端を考えれば当然の帰結かも知れないが、その発端である上述のプロジェクトのプロモーションとしての側面が本作品にあるのだとしたら、やはり手放しで賞賛することには抵抗がある。
その上で、ある種の気持ちよさも感じられたのは、ひとえに役所広司の確かで巧みな演技力の賜だと言える。