しろわ

PERFECT DAYSのしろわのネタバレレビュー・内容・結末

PERFECT DAYS(2023年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

多分ずっと心に残り続ける作品。まとまらないので箇条書きで。

- 俺はたぶん平山に近いし、平山になりたいとかなりの部分で思っている。
- 就活期間に見る映画ではなかったな。就活のモチベ完全になくなってしまう。
- 音フェチというか、ASMR要素が印象的だった。男はみんなガジェットが大好き。
- 日記のような映画だった。こういうミニシアター感ある映画への偏見を裏切らない、大きなカタルシスのない映画(いい映画だけどね)毎日同じことの繰り返しの様に見えて、少しずつイベントが起こる。コントロールできる部分は徹底的にコントロールして、それ以外の部分は冷静に(そして人間らしく)対処する。吉良吉影を想起した。あとは最近話題の桐島聡。自罰的ながらも、ささやかな幸せを抱えて生きる。ここまで他者とのかかわりを積極的に立つことはできないが…でも、うれしいことがあれば舞い上がるし、つらいことがあれば落ち込んだり酒に逃げたり。人間らしさも感じられて、まさに日記。男は毎日を新しい日として生きていた。とのこと。思いがけない出来事(ほとんどに女性が絡んでいる!)によって波風経つ日常。きっとそんなイベントの繰り返しなんだろうな。あの清貧さはアイデンティティなんだろうな、と考えて、やはり吉良吉影だという印象が強い。
- タカシのほうがリアルだという意見には納得。平山は進んで選んだかのように描かれていたけど、大半は「選ばざるを得なかった人たち」だ。偉い人にはそれが分からんのですよ。けど、監督本人が言うように、平山の様に注意深く世界を眺めてはいない人視点での、トイレ掃除の映画を誰が見たいだろうか?これは奴隷に戦わせる貴族的発想であることは重々承知している。こういう風に生きていけたら、と俺は心から思ったと思ったが、果たして本当だろうか?美化された側面だけをすすって生きていけるならそれはよかろう。なぜ自分がタカシでないと思った?社会階級の中で、上と下をどこまで見るか、そしてその中で自分をどう位置付けるかという問題だとすればこれはかなり難しいかもしれない。でも、よく考えると平山の生き方はそうした階級の外側にあるものではないのか?いやそれが「美化」か?グルグル考える。
- トイレは汚くないし、ジジイたちは上手に局部を隠している。ホームレスはなんだか超越的な人として描かれている。(実際田中泯だしな)
致し方なしだが、「社会において不可視化されている人たち」がテーマの一つであるこの作品において汚れが不可視化されるのはなんだか皮肉だなと思ったり。これは先ほどの「選ばざるを得なかった人たち」も同様だ。
- 妹を抱きしめたのはよくわからなかった。おそらく家庭における不和があって、それを時間が(もしくは父の耄碌が)解決したということ、それで迷惑をかけてごめんなのかなと思ったけど、時間が解決してくれた経験があまりなくてまだわからない。公式サイトに、父と兄が衝突したことに妹は負い目を感じていたとあった。余情がない!
- というかプロフィールがかなり台無しにしていると思うのは俺だけだろうか?スナックのママは平山に恋心を描いているとはっきり述べられてしまっていてここも余情がない。挙句にはホームレスを「自分だけに見えてるかのよう」っていっちゃあ…ダメだろ!この映画の主題は何だ?
- 花束を思い出してる人が多いみたいだ。俺もそう思う。大きな事件も起こらない日常をリアルに描くことによって、共感を呼び起こす。恋愛と「人生の楽しさ」という違いはあるが。まあ人によっては本質的に同じだろう。
- スカイツリーという都政の象徴が印象的だった。平山は都に文字通り生かされていて、その象徴たるスカイツリーのいわば監視下にいる。さっき桐山聡の話したけど、平山は完全に体制のうちで飼われている人間だ。反逆などしないだろう。生権力というワードを思い出して、スカイツリーがパノプティコンにも見えてきた。
- 監督のインタビューを見た。小津の影響を語っていて、確かにね。日常のやり取りの中から、誰の心にも共通する感情の揺れ動きを拾い上げる(だいたいは家族である)のは、確かに小津っぽい。寡黙ながら世の中をじっと見つめる平山と笠智衆を重ねるのはなるほどとなるなど。言われてみれば、都市高の構図の美しさや余韻を残す風景の長回しは小津っぽいかも?
- プロヂューサーやコーディネーター周りの話はしたくないのでしない。こんなこと書いてる時点で批判しているも同然だが…
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