昔、本の虫の友人が居たのだけれど、「よくこんなに本を読めるね。」と口にすると「寂しいことだよ。」と。
なんとなく思い出した。
---
物事の機微に目を凝らして、耳を澄まして。そうすることでしか間を埋めることの出来ない寂しさだけを感じながら映画を観ていた。
小さな幸せを見逃さないことでしか己の心を守ることができない男の話。
序盤の車に乗っているカットで何と無く諦めた様な目をしているからこういった方向性の話なのだと理解した。
身に覚えはあるのだけれど、精神的にピュアで居ることでなんとか己の自尊心を保とうとする姿って本当に悲しいセルフケアだと思う。
なんとか毎日をやり過ごすけれど、それでも日々の小さなハプニングで時々我に帰って心が張り裂けそうになる平山を観て、自分の人生にも多く心当たりがあることを思い返し胸が苦しくなった。
---
この映画は美しい作品だと思う、綺麗な作品でもある。
しかし、それは平山の人生に綺麗なものしか存在しないからではなく、ただカメラに映していないだけということに留意する必要があると思う。
昨年公開の『aftersun』でも見られた“描かず描く“ 手法が僕は気に入っている。
作品でも言及があったトイレの吐瀉物の話。映像としては現れないが確実に存在するものの一つ。平山の境遇であれ、想像力一つでこの作品の重みは随分違ってくる様に感じる。
---
姪との時間や日々の嬉しい出来事はあくまで一過性の幸せの発現に過ぎず、常に自らを律する為には、結局のところ自らの感性を磨いたり、何事にも動じないフリ、諦めが必要なのだと思う。
結局は自分を律するフリを行っているように僕に見えた。
それでもこれが“完璧な日々”だと思い込むしかない人生のやるせなさ、引用になるけれど、作中でのLou Reed『Perfect Day』でも最後、
You’re going to reap just what you sow
(自分の蒔いた種は自分で刈り取ることになる)
と歌っている。
自分が選んだ人生を肯定することの難しさ
はラストシーンの長回しで嫌というほど見せつけられた。(個人的には昨年公開の『Pearl』のラストシーンを超えたと思う)
---
なんというか、自分を絡めて話を観てしまったから暗い見方ばかりではあったけれど、喜びは(例え小粒であったとしても)淡々とした日々に現れた方が美しいに決まっている。
ふと苦しくなってしまう時間があったとしても、平穏で美しい日々も間違いなく存在
することを忘れないでいたい。
---
普段、人よりはスラスラとレビューを書ける方だけれどあまりに思う所が多過ぎて時間がうまく書けなかった。
ただ、日本で生きる人としてこの映画を観ることが出来て良かったと心から思う。