すきま

PERFECT DAYSのすきまのネタバレレビュー・内容・結末

PERFECT DAYS(2023年製作の映画)
-

このレビューはネタバレを含みます

石川さゆり演じるママの何故このままで居られないのかという問いへ、平山からの返答が最後に示されているように思った。
父を捨て嫌な人間関係を排除して、修道僧のようにルーティンだけの毎日を繰り返していても、死や破綻は必ず訪れる。
皆それを知らされて生きているし、破綻をより身近に感じる時ほど、今手にしているものの大切さに圧倒される。
その瞬間に鳴り響くニーナ・シモンの声。幾つかの波紋が収斂され、この日この時この曲を聴いたことで歯車がカチッと噛み合わさり、平山が変わらないように守ろうとしていた何かが動いたのかもしれない。
音楽が持つそういう力を撮るのは、とてもヴェンダースらしい。
平山が家の鍵を閉めない件について。
うちの田舎は、近所で空き巣が入るまでは鍵掛けにおおらかで、用があれば戸を開けて呼ばわる方式だった。
けどこれは東京で平山は几帳面な金持ち育ちだから、わざとだという設定だろう。盗られて困るものは持たない表明?
大島弓子の描いた元新聞記者のホームレス鹿森さんの、世界へ向かってドアを開け放した話を思い出したけれど、平山の心の扉は、今後も万人にまで開かれることはないはず。

わたしは寝つき寝起きがひどいので、あんな美しい夢を見て箒の音で起きる平山がとても羨ましかった。箒やお湯の音、木漏れ日、雨音、泯さんの踊り、言葉以前のものが穏やかに生々しく映されている。
飲み屋の大将からの「お疲れさん」、古本屋店主の口上、無口な写真屋(柴田元幸さんだと気づかなかった!)、銭湯の人々、さゆりママの店、常連で保たれているお店の風景。
トイレ掃除の後輩タカシは、いい加減なくせにやたら全てを点数づけて評価してわざわざ教えてくる。けれど同時に、でらちゃんには自分の耳が必要なんだと気づく敏感さも持ち合わせている。耳を必要とされることで救われてもいただろうし、かつそれを自分の手柄にしていない。
タカシの彼女は、仕事とは言えお金をむしり取りながらも、終わりの予感に涙する。
生き物はどこかに必ず整合できない矛盾を内包していて、自分では切り捨てたいと思うようなそれが、見る人によっては魅力そのものに映る。
平山の寝室が、カーテンの無いところや畳のへたり具合、薄い布団など、たまに泊めてもらう姉んちの寝室(角部屋)にそっくりだった。あそこまで整ってはいないけれど、物も同じくらい少ない。
4階で賑やかな道路のそばだから環境音は違うけれど。
こんなブラックで儲からない職場でこんなに丁寧な仕事をしている、という人はどの職にも数少ないけれど存在していて、たまに出会う。自分には決してなれない、拝みたくなる。

執筆陣に惹かれて久しぶりにパンフレットを買った。
低賃金労働の美化と取られかねない点は、既にパンフレットで川上未映子さんが指摘していて、かつそれを平山の現実回避とも結びつけてより高度な批評が展開されていた(ミニマリストでない自分にも思い当たる節があり)。
ヴェンダースが著作の中で、ストーリーは大切なものを遠ざけてしまう危険な存在だと、口をすっぱくして書いている、ということ。
役所広司が語る、笠智衆は表現し過ぎないということ。

あの音を映画館で観て良かった。
何年か毎にまた見たい映画だ。
すきま

すきま