KnightsofOdessa

メイ・ディセンバー ゆれる真実のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

3.0
[不健康な年齢差恋愛のその後] 60点

2023年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。トッド・ヘインズ長編九作目。原題"May December"は年齢差のある恋愛関係を意味し、作中に登場する36歳のときに13歳の息子ジョージーの同級生と関係を持った後、結婚したグレイシーとジョーのことを指している。これは明確に言及されたわけではないが、アメリカ人なら1996年に起こったメアリー・ケイ・ルトーノー事件を思い出すことだろう。現在、ジョーが36歳になった年に、同い年の女優エリザベスが新作映画でグレイシーを演じることとなり、インタビューにやって来る。まるで世界中を敵に回しながら愛を守った男女という御伽噺のその後のような展開だ(その内実はあまりにもグロテスクだが)。年齢以外でも三人は密接に絡み合う。ジョーとジョージーという似た名前の二人、エリザベスとジョーの妹は二人とも喘息持ち、エリザベスはグレイシーを演じようとしている…特にエリザベスとグレイシーの存在は『仮面/ペルソナ』を引用していると言われているが(そして『鏡の中の女』パロディなポスターも存在)、本作品ではその間にジョーが存在しており、女二人のパーソナリティの融和に巻き込まれているため、その点ではよりグロテスクな作品に仕上がっている。様々な家族行事に参加するエリザベスに、少しずつ情報を小出ししていって支配下に置こうとするグレイシーの姿はどこかmanipulativeなリディア・ターみたいな病的な側面があり、その一番の被害者がジョーなのだった。二人は世界からの批判に耐えるために過去を過剰に正当化しているが、エリザベスの探偵稼業によって化けの皮が剥がれていく。グレイシーとジョーを覗いているはずが、誰も画面中心に置かれず空間が開いているという奇妙さは良い。誰も手の内を明かさず、全員が煙に巻こうとしている感じが伝わる。そして、それと同時に役柄に入り込むという意味での同化から、実際の事件を演じるという再生産の過程の合間に、ガチの再生産が挟まれるという恐ろしさたるや…と思いつつ、常に利用され続けるジョーが哀れになってきてノリきれなかった。タブロイド紙のネタでワイワイいってるテメエも似たようなもんだぞとでも言いたいのかもしれないが、そちらもあまり響かず。やるなら匂わせ程度じゃなくもっと徹底的にぐっちゃぐちゃにしてほしいっすわ。期待外れでした。
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