花火

エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命の花火のネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

時おり挟まれる「歴史大作でござぁい」な仰々しい演出には苦笑させられることもあって中盤までは正直そこまで乗せられなかったものの、子供のかくれんぼと大人の衣服の中に隠される行為(教会の遣いから隠す母親のスカートの中/同じくかくれんぼをする追っ手の子から隠す教皇のマントの中)の反復から、ゴリゴリに面白くなっていく。そこを境に、教会の権威性が失墜していき革命勢力が台頭していくわけだが、実は前半にも仕込みはある。モルターラ家でのユダヤの教えに従った安息日の様子と教会でキリストの教えを横の子を真似て復唱するエドガルドとのクロスカットがまさにそうだ。あるいは後半、堅信を授けられるエドガルドと新政府の統治下にあるボローニャで裁判の判決を聞き取り乱す父サロモーネとのクロスカットもその変奏だろう。カットを交互に重ねることで、双方が同根というか、同じことをやっているのではないかということが表される。エドガルドを"迎えに来た"教会の遣いと、彼を連れ去った異端審問官が後に逮捕されるシーンがどちらも夜中であることもその補強だろう。個人的にはいよいよローマに革命勢力が攻め入りエドガルドが教会で帰ってこいと呼びかける兄と対峙したあとの夜に、ベッドで寝ているときに両親が訪ねてくるも狸寝入りしてやり過ごすシーンが、教会に連れて行かれる猶予として与えられた夜に幼いエドガルドが両親と同じベッドで眠るシーンと、カメラの据えられた位置がベッドの頭側か足側かできれいに反転しているのが痛切で印象的だった。そして何と言ってもラストカット、コの字に区切られた空間で、右には臨終を迎えた母と寄り添うモルターラ家の面々、左には兄に「今際の際までキリスト教へ改宗を迫るのか」と詰られ一人うなだれるエドガルド、という鮮やか過ぎる断絶の表象。
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