雨雲模様

エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命の雨雲模様のネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

あのスティーブン・スピルバーグも映像化を試みようと資料を独占していたにも関わらず映像化は難しいと断念させたという難題をベロッキオ監督が実現させてしまったのが今作品である。

時は1858年(日本は安政5年=江戸時代)のイタリア・ボローニャ。ユダヤ人のエドガルドが7歳にも満たないときに、生まれたときに秘密裏にカトリックの洗礼を受けていたために、熱心なユダヤ教徒だった両親から引き離される形で連れ去られてしまう。

時はイタリア統一運動が盛んに行われる中でカトリックの権威でもあるバチカンの神威が次第に薄れゆく中で、意地としてでもバチカンの権力を見せつけたかったのでは?という内容。

結局モルターラ家に帰ることは許されず、洗脳されたエドガルドはカトリック司祭となり布教活動に生涯を捧げて終わりのエンドロール。

バチカンの闇は根深いとは云うが、当該作品もバチカンが権力を維持したいが為にお金を払ってまで洗礼を受けたことを理由に両親から引き離すのはあまりにも理不尽である。青年期を迎えたエドガルドが教皇ピウス9世に対して突き倒したのは今までの事に対する抵抗を示したかったのか、ピウス9世が他界して遺体を運ぶ際に反乱が起きたときでも川に突き落とせばと再び抵抗する姿勢を見せながらのカトリックという地獄から抜け出せなかった。

良い子にしていればという、あのセリフがあるのとないのとでは顛末は違っていたかもしれない。
雨雲模様

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