鶏

エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命の鶏のレビュー・感想・評価

3.4
『歴史の勉強にはなったけど、あまりにも衝撃的』

19世紀中盤の揺れ動くイタリアのお話でした(ってか、イタリアはいつも揺れ動いてるか)。史実を基にしたお話ということでしたが、そもそもその辺りのイタリア及びヨーロッパの歴史に疎い私としては、驚きの連続でした。鑑賞後に少しばかり歴史を調べたところ、現在のイタリア共和国の基盤となるイタリア王国が生まれたのは1861年と比較的最近のこと。それまでは、ローマ教皇の直轄領のほか、両シチリア王国やトスカーナ大公国、パルマ公国などの小国が割拠する状態だったものの、1848年にヨーロッパ大陸全土に広がった”1848年革命”の動乱の末に、統一イタリア王国が誕生することになったようです。そして本作の舞台は、主人公のエドガルド・モルターラが生まれた1850年代から1870年代に掛けての四半世紀ほどの激動の時代を背景にしたもので、1人のユダヤ人少年の成長(と言って良いか微妙だけど)と、彼の家族、そしてローマ教皇との関わりを題材にしたお話でした。

まず驚いたのが、ボローニャに住むユダヤ人一家であるモルターラ家に、突如としてローマ教皇庁の役人が訪れ、息子のエドガルドを連れ去っていったこと。理由は彼がキリスト教の洗礼を受けたことが判明したため、彼をユダヤ教徒ではなく、キリスト教徒としてローマ教皇庁が育てるというものでしたが、全く意味不明というか、無茶苦茶極まりない話でした。しかも後に分かることですが、エドガルドを洗礼したのは、彼がまだ赤ん坊の時にモルターラ家で働いていた家政婦が、両親の許可もなく、勝手に洗礼したという話であり、にも関わらずその洗礼を盾に子供を連れ去るんだから、全く酷いものでした。

最近も、統一教会問題の報道の中で、信者の親の子供が宗教2世として育てられ、そこから脱したいのに中々出来ないということが社会問題化しましたが、ローマ教皇庁が子供を連れ去って無理矢理改宗させるなんて、いくら人権意識が低かった19世紀とは言え、あまりにも酷い話でしょう。実際国際的なユダヤ人コミュニティの連携もあり、国際的に教皇庁が批判の的になったようですが、逆に教皇庁は態度を硬化させてエドガルドを親元に返そうとはしません。

因みに本作の原題「Rapito」とは、イタリア語で「誘拐された」ということを意味するそうで、ローマ教皇庁がエドガルド以外だけでなく、年端のいかない子供たちを親元から引き離して、というかまさに誘拐を行い、事実上彼らを監禁してキリスト教教育をしていたなんて、しかもこれが史実だと言うんだから、驚き以外の何物でもありません。加えて子供を返して欲しいという親の要求に対して、家族全員がキリスト教徒に改宗するなら子供を返すというのだから、本当に呆れてしまいました。

しかもやるせなかったのは、エドガルド自身が最終的に敬虔なキリスト教徒になってしまい、臨終の床にある母と再会した際に、逆に母をキリスト教徒に改宗させようとしたこと。あまり宗教の悪口は言いたくありませんが、一度洗脳されてしまうとそれを解くのは難しく、結果的に家族であっても受け入れられない間柄になってしまったのは実に悲しく感じたところでした。

題名の通り、あまりにも数奇な物語だったので、映画として観るというよりもドキュメンタリーとして観てしまった感があったのですが、俳優陣としてはローマ教皇役のパオロ・ピエロボンの狂信的な感じの演技が光っていました。少年期のエドガルドを演じたエネア・サラは、東洋風に言えばまさに”紅顔の美少年”であり、そんな彼だからこそ、エドガルドの置かれた悲惨な立場がより強調されていたように感じました。

あと、19世紀のイタリアの風景も美しく、物語の内容がこんな話でなければ、もっと風景を楽しめたのにとすら思えたところです。

という訳で、あまりに衝撃的だった本作の評価は★3.4とします。
鶏