かなり悪いオヤジ

エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命のかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

3.5
イタリア共産党の党員もしくはシンパだった映画監督は非常に多い。ヴィスコンティ、パゾリーニ、アントニオーニにロッセリーニ、現役のナンニ・モレッティなんかも確か共産党出身の映画監督である。そして、そのイタリア共産党とは敵対関係にあったバチカンによる誘拐事件を扱った本作の監督マルコ・ベロッキオもまた、イタリア共産党出身の映画監督てあることをまず頭にいれておかなければならない。

19世紀中頃、フランス2月革命の影響を受けたイタリアでも自由主義運動が勃興し、保守反動的なローマ・カトリック教会と対立する。裕福なユダヤ人家庭から6歳の男の子エドガルド・モルターラを拉致誘拐、子供を解放する条件として一家のキリスト教改宗を迫った実際の事件を映画化している。歴代最長在位期間(31年間)を誇る時のローマ教皇ピウス9世の頭には、(洗礼云々はもちろん口実で)弱体化著しかった教会の権威回復が目的としてあったのだろう。要するにみせしめである。

84歳を迎えたイタリア人巨匠が、スピルバーグでさえ映画化を諦めたと伝えられる史実を、なぜ今頃になって映画化しようと思いたったのであろうか。現在ガザへの大規模侵攻により世界中から大バッシングを受けているイスラエルと何かしら関係があるのだろうか。尊敬する兄貴をエンデベ空港でアラブ人に殺された私怨を決して忘れないネタニエフを、今更擁護(あるいは批判)しようとでもいうのだろうか。いつのまにかゴリアテと化してしまったダビデに本気で同情する者などほとんどいないにも関わらず。

私は本作を見ながらデ・シーカの『自転車泥棒』をふと思い出したのである。“盗られたら盗りかえす”資本主義の愚かさを皮肉った映画として知られている名作だ。本作の場合、盗まれたのは“自転車”ならぬ“6歳の男の子”なのだが、ユダヤ人家族とローマ教会の間で争奪戦を繰り広げる様子がとてもよく似ているのである。子供は親のものなのかはたまた神のものなのかという、資本主義が認めている私有財産制度に(今更ながら)疑問を投げかけた作品だったのではないだろうか。

誘拐事件を例に自由主義者たちからやり玉にあげられる度に、無原罪のおん宿り儀式などをとり行って体面を保とうとするピウス9世が、しごく滑稽に描かれている。そんな教皇勢力にすでに洗脳されてしまっている“生身の人間(エドガルド)”を取り戻そうと躍起になるモルターラ一家。そもそも私有財産を認める資本主義自体に欠陥があるのか、それとも意志のある人間を“もの”のように奪い合いすることが間違っているのか。世界中に無批判的に受け入れられているこの自由主義の“教義”を、そろそろ疑いはじめていい頃なのかもしれない。