古川智教

落下の解剖学の古川智教のネタバレレビュー・内容・結末

落下の解剖学(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

「落下の解剖学」

本来であれば、真実に基づいて有罪か無罪かを決める場合、確実な証拠があってはじめて有罪であり、確実な証拠がなければ、〈無罪〉ではなく、〈有罪とはし得ない〉であるはずだ。だが、実際には有罪か無罪、〈どちらか〉を選ばなければならないとされ、まるで司法が市場に場を譲り、資本主義の原理に従っているようだ。そして、もはや裁判は殺人としての落下を真実/根拠によって解剖するのではなく、サンドラの人生としての落下を真実らしさ/想像によって解剖していく。事件の討論番組での「サンドラの書く小説として見れば、殺人の方が面白く、それしか考えられない」という発言は、その点を決定的なものとし、裁判を〈映画の中の裁判〉に収めずに裁判を傍聴する者=映画の観客が感じているだろう真実らしさ/想像にまで波及させて、観客の〈どちらか〉の判決に対し揺さぶりをかけるのだ。さらにまたその落下の解剖に立ち会わされるのは、障がいを持つ子供であり、子供もまた真実か否かに関係なく〈どちらか〉を選ばなければならなくなり、その現実を観客は直視する。彼の最後の証言に含まれているのは、真実か否かにかかわらず〈どちらか〉を選んだというだけではなく、彼には 〈どちらか〉という仕組みそのものが〈見えて〉しまった事実を示している。観客もまた彼の見えない目を通して〈見た〉かどうかなのだ。
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