寝木裕和

落下の解剖学の寝木裕和のレビュー・感想・評価

落下の解剖学(2023年製作の映画)
-
深い。
深すぎる… 。
まるで、雪渓に不気味な口を開いたクレバスのように、深い。

実のところ、サンドラは夫サミュエルを殺めたのだろうか?
勿論、この作品の肝はそこではない。

事故、自殺、他殺、… 終始そのどれも可能性があるように映し出される。

ただ、話しが進んでいくにつれ、リベラルで冷静で人当たりの良い人物に見えていたサンドラのイメージが変わっていく。
バイセクシャル、同性である女性との度重なる不倫、夫のアイディアから盗作し小説を執筆… 。
けれどもそれら徐々に見えてくる彼女の別の面は、裁判にかけられた夫殺害とは無関係ないはず。… なのに、観ているこちらも、そのイメージによって彼女を犯人扱いする気持ちになっていく。

サンドラが裁判の弁護を依頼した弁護士・ヴァンサンは言う。
「あなたが実際に夫を殺したかどうか。
それは問題じゃない。
あなたがどういう人間に見られるか。
それが問題だ。」

また、息子ダニエルに法廷監視員のマルジュが言う言葉…
「証拠がないときでも、その状況から判断して、真実を決めるしかないの。」
それに対してダニエルは、
「無理矢理にでも?」と聞き返す。

… それらが生み出すことは冤罪やメディアによる偏った報道など、この日本でもたびたび問題になることだ。

この作品では、さらに「この人はこういう人間」という一方的なイメージでジャッジしてしまう傾向は私たちそれぞれの中にも大いに起こり得るということを詳らかにする。

本作のもう一つの柱は、壊れていってしまった夫婦の関係についてのこと。
作中、何度も映し出される若き日のサンドラとサミュエルが笑顔で並んでいる写真からは、当然のことながら出会った頃の彼らが幸福の中で愛し合っていたことが窺える。

それなのに、度重なるすれ違いによって、ここまで破綻してしまうのだ。

この映画の中で印象的なのが、視覚障害のあるダニエルが、アルベニスのピアノ曲『Asturias 』を繰り返し練習しているシーン。

この曲は右手で1音… もしくはそのオクターブ上の2音を細かく刻み、左手で主旋律を奏でていく。それがなかなかのテンポで、16分音符で刻んでいくので、難易度は高い。

ご存知の通り、ピアノ演奏の場合、左手の低音部でコード…もしくはその根音をキープして、右手で旋律を奏でていく方が頻度としては多い。

けれどもこの『Asturias 』では先述の通り冒頭からしばらく右手が1音なりオクターブ2音なりをキープし、左手がメロディを奏でる。

… このことは、サンドラとサミュエルの夫婦関係のことも示唆しているのではないだろうか。

自由奔放に性を求め、生き方を決して曲げない女性サンドラに対して、息子の事故の罪悪感から家から出ないようになり主夫の立場にいるサミュエル… 。

夫婦であろうと、家族のどんな関係であろうと、いい時もあれば罵り合うほど争う時も当然、ある。
右手がこの音をキープしている時、左手が動いてあげる。
そして時にはその役割が逆転したりして、そうやってそばにいる人間同士はハーモニーを作っていけるはずなのに。

ジュスティーヌ・トリエ監督はそこまで考えてこの選曲、この演出をしたのだろう。
そのセンスにただただ、脱帽。
寝木裕和

寝木裕和