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落下の解剖学のメッチのレビュー・感想・評価

落下の解剖学(2023年製作の映画)
4.6
人が亡くなっていることでもエンターテイメントとして消費されがちな現代で、大切な事とは?

犯人は誰か?というお話ではなく、家族のお話でしたね。
お話の視点は、裁判員の第三者の視点のため、仲睦まじい夫婦かと思いきや真相が分かっていく度に父親が母親に対してどう思っていたのか?母親の腕にある"あざ"はなぜあるのか?など、犯人探しをしてしまいそうになりました。

あらすじは、落下して息をしていなく倒れていた父親を最初に発見したのは、散歩から帰ってきた視覚障がいのある息子。その時家にいたのは父親と母親の2人。3階から落下して息を引き取った父親は、検証結果から事故死ではなく自殺か他殺のどちらかと母親に容疑が向けられ、真相は如何に?というお話。

ちょっと私の偏った視点で感じたことを述べますが、本作はまるで子供の親権を巡った法定の様子をみているような感じがしました。
それは、容疑を向けられて弁明をする母親と真相を追求している検察官のやりとりが、子供を思う意見が対立する夫婦喧嘩のようでしたし、離婚前提で親権を巡る法廷を目の当たりにしていた気がしました。
(親権を立証する云々の前に、親を決めるのは子供なのではないのかと思いますがね。話がずれてしまいますが…。)

あと作り手から伝わったことは、何事も物事は先入観でみてはいけないことでしょうか。
先に述べていた息子の視点でみていたのは、同じ第三者視点でも裁判員などの視点でみなかったのは、曇りの無い眼で物事をみようとしている息子と先入観に囚われたものの視点であれば、前者の視点でお話をみようと思うはずです。
それは作中の報道番組に出ていたコメンテーターがそうでしたが、根拠は無いけど思った方が面白いと真相の追求というよりも欲望みたいな感情で物事をみていた。これは結局当事者で無いからなのでしょうか?

でもそれに対して、息子は父親が亡くなってから悲しみながらも真実をみつける決意をして、彼なりに真相を確かめように行動している。真相を"求める"というよりも"見定める"といえばいいのしょうかね?
なので、息子の視点でみることが大切なのかな?と、ふと思ったからです。

本作はなんだか、家族というテーマでもありつつ、物事の捉え方とは何かを問われていた気がします。
真相を求めるエンターテイメントではなく、己の人生を左右するものだと思って見定めることも必要なのではないか?と、結婚しているとか家族がいるとか関係なく、いろんな物事に言える事ではないかと。
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