尾崎きみどり

落下の解剖学の尾崎きみどりのレビュー・感想・評価

落下の解剖学(2023年製作の映画)
4.0
鑑賞した後もしばらく色々考えてしまうほど見応えのある良い作品だった。
当初本作をサスペンスミステリと捉えていたが、実際観ると良質なヒューマンドラマだった。どんでん返しや意外な犯人などを期待していると肩透かしを喰らうこと必至。
タイトルが秀逸。落下の解剖学とはよく言ったものだ。夫の落下死をきっかけに、家族の歴史や病理や感情が丹念に腑分けし並べられていく。家族や夫婦関係、親子関係という極私的なものが解剖され公に詳らかになるのは、恐ろしくもあり興味深くもあった。と同時に、自分の中で劇中の傍聴人たちのような野次馬根性が顔を出しているのに気づき愕然とした。
法廷劇としても優れているこの映画。2時間半の中で台詞の応酬がすごい。推測・憶測ではなく証拠と客観的事実を積み重ねて裁判は成るのだが、その原則を貫くのはとても大変なことがよく分かる。それが例え大陸法の本場フランスであったとしても。推測や憶測で詰られる主人公の姿には非常に既視感を憶えた。
検事の言い分と弁護側の言い分がそれぞれあり、それを互いが論理的に反論する場面は見応えがある。徹底した検事の煽り芸は中々の物で敵ながら天晴。おのれファッキン坊主めと思わず罵りたくなる役者ぶりであった。
役者が全体的に良かった。中でも主人公と息子ダニエル役の子の演技が光っていた。
特に主人公を演じたザンドラ・ヒュラーの演技は抜きん出ている。当初の冷たい印象や毅然と裁判に立ち向かう姿や母親としての感情、そして最後の写真を見る表情。中でも証人陳述で仏語から英語に切り替わった時の演技が良かった。それまでは慣れない言語でたどたどしく語っていたが、得意な言語に切り替わってから気持ちが溢れ出すように饒舌になる。作中で明かされた以外の彼女の人生が垣間見えるようだった。物議を醸しそうな役柄だったが、お陰でフラットな気持ちで見られた。
ダニエル役のミロ・マシャド・グラネールは視覚障害を持った役だったが、難しい役どころを見事にこなしていた。辛い思いをしながらも最後に決断するなど繊細なシーンでの表情がとても印象的だった。
あと犬の演技すごい。賞を貰ったらしいが、この達者な演技を見たら納得。マジで賢いな。よしそこら辺の人間と交代しようか。あいつとかこいつとか。
〈注:ここからはネタバレを含んでいます〉




創作に於いては片手落ちかもしれないが、現実に則ってみればかなりリアルな結末であった。真相は分からずとも裁判は決着するが、それは善悪では計れない。そもそも真実なんて人の数だけある。母親と盲目の息子が思う真実は果たして同じなのかと言えば違うだろう。もし彼女が有罪なら、無罪なら、とそれぞれの結末を考えてしまう時点で、この作品の手練手管に嵌ってしまっているのかもしれない。
決着がついてからのダニエルの気持ちを思うと少しばかり心配になる。
子供の頃は親なんて特別な存在で、自分と同じ様な人間であるとは認めにくい。親の性生活や秘密を聞いてとても辛かっただろうし、最早以前の様な無邪気な親子関係には戻れないだろう。それを思うと最後の台詞とハグは一種の儀式のようにも見えた。
尾崎きみどり

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