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落下の解剖学のOVERKALORDのネタバレレビュー・内容・結末

落下の解剖学(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

いつもはタブレットで鑑賞しているのですが、今回は映画館まで足を運んできました。実に8年ぶり?記念すべき作品となりました。

非常に長く感じました。約2時間半の映画ですが、体感3時間以上はあったように思います。サブスクでは一時停止や休憩ができますし、普段は明るい部屋で見ているので疲れたのかもしれません。少し寝不足でしたし…

しかし今振り返ってみると、出口の見えない迷宮に入り込んでしまったような映画の構成も、体感時間に大いに影響していたように思えます。進んでも進んでも出口が見えず、寧ろより遠くへ。迷い込んでしまっているような感覚。

最初は事故か他殺か不明でしたが、次第に他殺だろうと考える様に誘導された気がします。奥さんはいい人としては描かれていない。何となくコイツがやった気がする、この気難しくヒステリックで自分勝手な女なら、やりそうな気がする…そんな気がしてきます。

少年は、人と人とが関係を持った時点で、解釈に公平性を担保できなくなる…的なことを言っていた(正確なセリフは忘れた、サブスクはすぐ見返せるのが良い点だ)。
最後は自死の可能性が示されて終わるが、これも自らの意図せぬところ、誘導されてしまった様に感じた。彼女ら親子と僕らが映画を通して深く関わってしまったために、ただの一解釈の占める割合が脳内で肥大してきて、そうであって欲しい、きっとそうだったのだろうと、信じてしまった。

真実はいつもひとつ…本当か?人の解釈の数だけ、脳みその数だけ、つまりフィクションの数だけ、真実っぽいものは存在する。フィクションと真実の境目は曖昧になり、リアルはフィクションに殺される。真実なんて、客観的で公平なフィクションに過ぎないのでは?そんなものは本当に存在するのか?

信じられるのは、自らの目で見たもの、観測したものを、自ら解釈する場合だけなのか。信じるとはどういうことだろう?人は自分に都合のいい解釈をする。そうであるだろう、そうであってほしい、そうでなければならないと信じてしまうのは何故か?

夫婦喧嘩のシーンは迫力満点。空気のピリつきと不吉な予感。息をするのも忘れ、法廷に戻った時は、まるで自分もその場に居合わせたかの様に錯覚しました。

バカうるさいミュージックと、時折挟まるピアノ、静寂、呼吸の音、息を潜める人々。

社会問題的なテーマも含まれている様に感じました(新しい夫婦の形、個人と結婚)。
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