柾木嶺

落下の解剖学の柾木嶺のネタバレレビュー・内容・結末

落下の解剖学(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

最高のタイトルと最高のCMによってミステリーだと騙された不思議な作品。
面白いのは間違いないのだが、こういう面白さって他にないよなあ。

恐らく「落下の解剖学」の根幹にあるのは現実の不透明性だ。

この作品は本当にあらゆる謎が未解明というか、「確たる証拠が無い」。だから最後まで観客にも、殺人なのか自殺なのかが示唆すらされない。
このバランス感覚が凄まじくて、ザンドラ演じるサンドラ(ややこしい)はヒステリーで独善的で浮気性のクソ女なのだが、一方で夫と息子を本当に心の底から愛しているようにも見える。
理由があれば殺人をするような人間にしか思えないのに、ほんの一欠片だけ無実っぽい気もしてしまう。

息子にしても、一緒に住んでいてかつ聴覚記憶に優れているのに両親がいつもどういう理由で争っているのかを知らない。母の不貞も父の自殺未遂も彼は裁判で明かされるまで全く気づいていなかったのだ。
おまけに彼の事件当日の行動も不透明なまま追求されずに終わる。

これが通常の裁判を扱ったドラマ、映画ならロジカルに有罪か無罪かを明かすだろうし、そうでないとしても観客にはどっちが正しかったかをぼんやり示唆するに違いない。

だが現実にこの事件が起きたとしたら「落下の解剖学」同様、確たる証拠がないままに各自が事件や容疑者や被害者への「印象」を語るしかなくなる。

何もわからない、信じる根拠がない。
その状況で息子は「どちらを信じるか、心を決めるしかない」と言われる。そうして「父は自殺した」という仮定を前提に事件前の父との思い出を語る。
これすら本当は信じれるかどうかは分からない。息子の嘘かもしれない可能性がどうしても残る。

だからこの作品の観客は陪審員でもあるのだ。
作品は無罪を勝ち取り家に帰ったところで終わるが、そこには拭いきれない疑念が残る。
けれど彼らは、そして陪審員たちはみなその疑念を一生抱えて生きていかなければならない。「心を決めて」生きていくしかないのだ。

けれどもうひとつ、ラストシーンのサンドラと犬が共に眠りにつくカットには一種の清々しさもある。
それはこの映画の中でサンドラとスヌープだけが勝利者だからだ。
ザンドラだけはこの作品の中で唯一真実を知っており、殺人者だったとしても真に無実だったとしても、無罪判決によって確定的に勝利した。
そしてスヌープは犬なので人間の疑心暗鬼の世界とは無縁であり、ただ飼い主が無事に帰ってきたという幸福だけが残る。


「落下の解剖学」に殺人の謎を暴くというカタルシスはない。それどころか常にじんわりとストレスをかけられ続ける。しかも3時間も。
けれど劇場を出る時は不思議と面白い、いいものを見たと感じて出ていける。
それは間違いなく脚本の凄まじい手腕と、ザンドラ・ヒュラーとミロ・マシャド・グラネールの演技のすばらしさによるものだろう。
柾木嶺

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