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落下の解剖学のwksgknchのネタバレレビュー・内容・結末

落下の解剖学(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

原題は「Anatomy of a Fall」
「Anatomie d'une chute」

カンヌでパルムドールとパルム・ドッグを受賞。
余談だが、パルムドッグ賞は素晴らしい演技をした犬に
贈られる賞で、本作では家族の飼うメッシが受賞した。

ジュスティーヌ・トリエとアルチュール・アラリの公私ともにパートナーっで協働で脚本を製作した。トリエは監督も兼任。
先日のアカデミー賞で脚本賞を受賞した。

フランスの山荘で過ごしている家族に事故、あるいは事件が起きる。
夫はダニエル、教師であり作家、半ば主夫のような日々を過ごす。
妻はサンドラ、著名な作家。
子供はダニエル、幼いときの事故が原因で弱視になっている。
犬のスヌープがいて、お手伝いさんもいる。

サンドラを演じたザンドラ・ヒュラーは関心領域にも出演していて、
こちらは国際長編映画賞を受賞。

冒頭で夫が死亡する、その死を巡る裁判がメイン。
その死が事故なのか、自殺なのか、他殺なのか、真相が追求されていくのだが、
本作では裁判の結果を明らかにすることが重要ではない、
縦軸は裁判ではあるものの、その過程で現れるダニエルとサンドラの関係と、他人を通してしか語られない事柄、男性だから、女性だから、夫婦だから、という役割で括られてしまう関係性のあるべき理想像。そこから外れると異常と判断されうる可能性が生まれてしまう、だから我慢する、という発想。たとえ親子であったとしても、それぞれ1人の人間がたまたま生活を共にしているにすぎないと考えると、誰かが何かをしないといけないなんてことはない。
一方で支え合うことでより良い人生になることも純然たる事実、むしろ良い面のほうが多い。

また、映画の中のやりとりにおいて、いくら論理的に理路整然と書いても、語っても、証拠が提出されても、所詮全てを理解できるはずもなく(お互いに)、何度も主観的、という言葉が登場する。(主観でしか語れないが)
サンドラは根掘り葉掘りと過去が暴かれ、その都度その時の状況や理由などを語るはめになり、膨張している息子の前で辛い局面に陥る。

終盤、判決が出るが、サンドラは何か見返りがあるのかと思っていたが、何もなかった、むしろ。。。と、吐露をする。
この後、サンドラはそれまでダニエルが担っていた全てを背負うことになる、その時に作品を書くことができるのか?息子に向き合うことができるのか?

検事役の俳優がなかなか良かった、嫌なところを突っ込んでくるので嫌になるが、これも私達がサンドラに肩入れしているからで、ワイドショー的な伝えられ方をしたときに私達はもしかしたら検事側につき、もっと突っ込め、サンドラが殺したに違いない、となるかもしれない。

あらゆる偏見は自分の気づかぬうちに刷り込まれ、操作されてしまう、業界的には件のことだって、何が正しいかなんてことは立場によって違うのに、誠実にやっていたってどうとでも捉えられるし、語れる、現状なんて二の次になるのに、現状は日々続いているんですよね。
閑話休題

第一発見者がダニエルで、彼が第三者として、親子ではあるものの、語ることのできる唯一無二の存在であるが、幼く、かつ弱視であることもこの映画では重要なポイントでした。あんまり彼の内情などは描かれないけど、それでもわかるのは父親のほうが好きであること。その上でその父がいなくなってしまった、自分を顧みると、1人で生きていくのが大変であることはわかっている、ではスヌープにしたことや彼が語ったことをどうとるか。。。

面白かった。
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