解剖というか剖検は死因を明らかにするために行うわけだが、その原因を見つけられなかったら、ただただ人間をバラバラに解体するだけの惨い作業になる。解体した遺体を縫い合わせて取り繕うことはできるが、一度は確かに壊されたという記憶とどう向き合うかが新しい問題になる。
裁判って言わばソーシャルな解剖で、「真相」の追求のために人間の生活をバラバラに切り刻む。裁判が進めばみんなが認めざるを得ない事実も増えていくのだが、「真相」に近づいている気が全然しない、というか本当のところ誰も「真相」なんて突き止めようとはしてないんじゃないかっていうのがこの映画の恐ろしいところ。うーんポストモダン。
ザンドラ・ミュラーの底知れなさは日本で言うと大竹しのぶ的な感じだろうか。あと子役の子が上手い。ヤケクソピアノが効果的演出になってる。