Aya

落下の解剖学のAyaのレビュー・感想・評価

落下の解剖学(2023年製作の映画)
3.6
#twcn

"お子さま"はええどすなぁ。
父を失った哀しみを母を救うことで免罪され笑顔さえ見せるなんてね。

まぁ、そう育てた"おとな様"はその失った父と救った母なんですけどね。

この映画は主観がおとなか、子どもか、によって異なると思います。
明記されていません。

『夫の殺人容疑をかけられた妻』という主観でみるか『もしかしたら母親が父親を殺したかもしれない、被害者と容疑者の子ども』として見るかで大きく変わってきます。

映画内でも妻の友人の弁護士のセリフで出てきます。

『真実がどうかは関係ない。どう見えるか、だ』

と。
はっきり。

その通りだと思います。
この世には分からないことがある。
ただ夫を失った妻であり父親を失った子どもであり、2人とも家族を失った、という事実に変わりはない。

え、ていうか152分もあったの?!
やべぇ…英語とフランス語の2か国語を聞くだけでも結構頭使うのにそら眠くなるはずや…

OscarとBAFTAで脚本賞、Cannesのパルムドールを受賞したフランス映画。"ヴィクトリア"のジャスティーヌ・トリエ監督。

しかも皆さん知ってました?
カンヌ映画祭って"Palm dog賞"って男性俳優、女性俳優みたいにベストアクトの🐕ちゃんの賞があるんですって?!

今作に結構重要な役で登場するスヌープはパルム・ドッグ賞を受賞したんだよ?!
そりゃあんな迫真の演技シーンあるもんね…

法廷シーンでの検察の詰め方が結構エグかったですよね…白黒ハッキリつけたがる🇫🇷っぽい。

やはり検察側も本気ですし仕事です。
弁護士さんの言っていた『どう見えるか』が大事で、どう見せるか?どう思わせるか?どう判断a.k.a判決を下させるか?

起こってしまったことに対する後始末…というには"人の死"はあまりにもセンシティブ。

Ayaさんは基本的に予告やポスター&フライヤーなどを見ず出来るだけ"なにも知らない"a.k.aニュートラルな状態で映画を観るのが好きです。

なぜなら映画に求める最上級の要求は"驚き"なのです。

最初はいきなり知らんおっさんが落ちて死んだからビックリしたし、子どもが目が不自由ってのも分からへんかったw

だって雪って光の反射が強いからサングラスをしててもなんとも思わないし子どもの眼の色がよく見えなくてw

本に書いてある事故って、他に子どもがいてその子が亡くなった話かと思ったら生きてて障害が残ってしまったのね。

にゃるほど。そもそもが複雑や。
そもそも"落下の解剖学/Anatomy of aFall"ってタイトル、センス良すぎない?

漢字の並びも素晴らしいし字幕翻訳はアメリカ映画を中心に担当される松崎 広幸さん。

※GAGAサマ配給作品はいつも最初に翻訳家の名前が出るからペン持ってスタンバイしてたのにアレ?今作はラスト。゚(゚´Д`゚)゚。
製作に関わってる会社が多い上"Cannes's Palme d'Or"を強調したかったのでしょう。最初にロゴがたくさん出る関係ですね多分。

んで、おとんが落下して亡くなった。

頭の外傷打撲痕による失血死。
3階で作業をしていた、そこから。
地面までの間にある物置に残る血痕…

弁護士の友人が訪ねて来て見て回るときに足跡が残らないことを考えると相当雪が密接して硬くなっているので、地面に落下した圧迫で亡くなった可能性も高さ的に十分考えられる、と思った。
物置がなくても。

もうちょっと化学的な物置と地面や血液痕の因果関係のお話聞きたかったですね。

そして気になるのは第一発見者の子どもの行動。
地面に血を流して倒れた父親を見てすぐに心臓マッサージを行う。

彼は見た瞬間父親がどのような状態かどのようにして判断したのか?
人間の初動は脳の記憶を優美に物語る。

この映画がなにが言いたいのか明確には分かりかねたのですが、映画は主観で観る派。

大切なのは亡くなったひとの真実を明らかにすることか?
それとも生きているひとを守ることなのか?

正義とは?

そんな映画には感じなかったのよ。

子どもが白黒ハッキリつかないことを大人に投げかけ、大人が決めることを子どもにも強いる、とういう状況を"作らせ"て、自身は自分が決めたことではなく"大人が決めたこと"に従うかわいそうな子どもである、と自ら定義付けるため、責任を大人になすりつけあたかも『なにも知らない犠牲者です』と主張することで自身を守るような加害行為に感じました。

いや、当たり前なんですけどね。
子どものすることに罪はない。
決めることに罪はない。

なぜなら未成熟な生き物で正解不正解を決められないし決めるべきではないもの。

ただそれを利用する子どももいる。

私にはこの映画のダニエルはそういった意味で"大人"を利用し"子ども"である自分は常に被害者であり何も悪くない、と『見えるa.k.a見せる』ことに特化した犠牲者を装った加害者に見えた。

そういう意味で"子ども"であることを利用している、と。

何言ってるか伝わりますかねw
ただ純真無垢な"犠牲者"ではない意図的ななにかをダニエルからは感じたため、途中から『こんのクソガキこっわー!!でも彼は"悪い"のか?』という気持ちで観てました。

子どもは子ども。
現実ではもっと不確かであいまいな存在。
それをある意味"悪魔的"な存在として際立たせ"悪役"にすることができるのが映画やと思います。

どんなことでも有りえるし起こり得る。
ただ重要なのは

"どう見えるか"

映画というコンテンツはそこに物語性とカタルシスが乗った娯楽である、という結論に至りました。

そういう意味では堂々と子どもを"加害者"たらしめて責めることが出来る映画というコンテンツの可能性に拍手です。

上記、子どもの悪意性で考えたらお父さんもお母さんもどちらもグロテスクな被害者。
特におっかさんなんてめっちゃかわいそうでめっちゃ滑稽やでなw

※Ayaさんは子どもは保護下にあるべき、社会で守るべき派です


日本語字幕:松崎 広幸
Aya

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