このレビューはネタバレを含みます
盲目の実子、異国語の母、死亡した父といった証言の不確かさからモラルと司法のあり方を考えさせられる。記憶が都合によって書き換えられたり、創作物が物証になったり、印象操作が行われたり、現実とその過去はとても不確かだ。
最後は、それらを追求する試みが失敗したならば、未来をどうしたいかで判断をするしかない、と言っているようにも思えた。そこに期待をしてはいけない。
司法の不確かさを指摘するだけではなく、作者なりにそのあり方に一つの解答を示しているようでとても好印象だ。優しくなれそう。
映像と音楽が独特で効果的に思えた。
とくに、不確かな証言を盲目の少年が想像するように挟み込まれる、フラッシュバックとも捏造とも言えない短い映像を挟み込むようなカットが印象的。
50セント(リリック無し)とかスヌープ(ドッグ)とかが出てくるのは、裁判はラップみたいな(あるいはラップ崩れの)言葉遊びの罵りにすぎないという皮肉を込めた演出なのか?
観ながらカフカの異邦人を思い出した。