Foufou

落下の解剖学のFoufouのレビュー・感想・評価

落下の解剖学(2023年製作の映画)
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ちょっとこういう抽象的なタイトルに弱い。

冒頭から、嫌な予感がする。
叙述の問題。妻の視点。子どもの視点。来客の視点。そして事件が起きたとき、当事者たちの視点が故意に奪われる。だから観客にとって謎は謎のままであり続ける。古典的な手法です。ああ、そういう映画なのかと。雨のなか前情報なしに見にいって、ちょっとミステリーって気分じゃないんだよなぁ……なんて。1日で、しかも水曜だから劇場もやや混んでいた。

弁護士役の俳優がちょっと東洋っぽい顔の美男で、声もいいし、いつもマフラー巻いてていかにもフランスの優男って感じでいいんですね。引き込まれポイントその一です。続いて夫の生前のビデオを妻が見るシーンがあって、音声が抜かれてただその表情を追う映像がね、ヘテロの私でもキュンとするわけです。引き込まれポイントその二。

でもこれ、映画かなぁ……なんて思いながら見ていると、まさかの法廷劇になって、ハリウッドのそれとは異なるテイストがまた魅力といえば魅力。で、見せ場はまさかのイングマル・ベルイマンでした。しかもベルイマンの手法を使いながら正しくフェミニズムをやっている。というか男女平等の本質を突く。これは男はね、自分の卑小さを鏡で見るようでいたたまれないのではないか。ただ、妻は名のある作家、夫は教諭を勤めながらの作家志望。夫婦のあいだには息子をめぐる乗り越えがたいわだかまりもあって、夫の側の感情は複雑に入り組んでいる。特異なシチュエーションに観客がどこまで我がこととしてとらえるのか、一抹の疑念はあるものの、私はふつうに打ちのめされましたよ。

脚本は共同執筆ですが、相方は私生活のパートナーであり映画制作者なんですね。お互いクリエイターだから、多分に実体験を含むのでしょう。生々しい夫婦関係のありようが、描かれておりました。

冒頭のあの大音量のウザい音楽がすべてといっていいかもしれない。あんな音楽が上でかかっていても、妻は耳栓さえすれば本も書けるし眠れもする。

ふふ。ある意味妻は、間接的に(も)夫を殺しているのです。そしてこれは、司法領域ではないわけだ。

大人の映画でした。
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