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枯れ葉のkuuのレビュー・感想・評価

枯れ葉(2023年製作の映画)
4.1
『枯れ葉』 映倫区分 G
原題 Kuolleet lehdet
製作年 2023年。上映時間 81分。
フィンランドの名匠アキ・カウリスマキが5年ぶりにメガホンをとり、孤独を抱えながら生きる男女が、かけがえのないパートナーを見つけようとする姿を描いたラブストーリー。
フィンランド・ドイツ合作。
カウリスマキ監督による『パラダイスの夕暮れ』『真夜中の虹』『マッチ工場の少女』の労働者3部作に連なる4作目で、厳しい生活の中でも生きる喜びと誇りを失わずにいる労働者たちの日常をまっすぐに映し出す。
アルマ・ポウスティがアンサ、ユッシ・バタネンがホラッパを演じ、ヤンネ・フーティアイネン、ヌップ・コイブが共演。

フィンランドの首都ヘルシンキ。
理不尽な理由で失業したアンサと、酒に溺れながらも工事現場で働くホラッパは、カラオケバーで出会い、互いの名前も知らないままひかれ合う。
しかし不運な偶然と過酷な現実が、2人をささやかな幸福から遠ざけてしまう。

今作品は残酷なこの世界で生きる価値を見出す唯一のものとして愛を示唆した作品と云える。
資本主義に支配されたアンサ(アルマ・ポイスティ)とホラッパ(ユッシ・ヴァタネン)は職を失い、新しい職を見つけようとするが、その一方で地球の裏側ではウクライナ侵攻が激化していた。
アルコール依存症、孤独、疑心暗鬼はこの困難な状況の結果やけど、ラジオを聴くこと、カラオケバーに行くこと、そして、もちろん映画館に行くこと。
こうしたことはすべて、毎日をより我慢できるものにしてくれるが、そうしたことを一緒にしてくれる人との出会いもまた同じと云える。
カウリスマキ監督はもっとあからさまに政治的な映画も撮っているが、今作品は彼の作品を力強いものにしているすべての要素が凝縮されている。
謙虚でありながら遊び心に溢れ、いつものように美しく構成された映像で、答えがなかなか見つからないことを認めながらも安らぎを与えてくれる。
カウリスマキは、単にカンヌのコンペティション部門に常に歓迎される監督の一人であるだけでなく、実際に面白い映画を作る稀有な一人であることでも注目される監督と云える。
今作品もカウリスマキの魅惑的で愉快なシネフィル・コメディのひとつで、足で叩くロックンロールがフィーチャーされている。
ロマンチックで甘く、決して感情を損なったり皮肉ったりすることのないデットパン・スタイル(デットパンは、出来事の可笑しさに対して『何とも思っていない』または『何も感じていないよう』に無表情で反応する喜劇の表現。鈍感、皮肉、ぶっきらぼう、意図的でないものとして使われる。)で、現代の政治について鋭いことを述べている。
カンヌの他の作品では見られなかったような単純な方法で、この主人公とヒロインを応援している自分に気がついた。
今作品は、わずか81分の中に実に多くのことを難なく詰め込んでいる。
感傷に陥ることなく、甘美なコメディである。
一時は幸せをつかむ見込みがないように見えた孤独な2人のロマンス。  
政治映画であり、挫折した労働者階級の従業員やウクライナとの連帯を表現したもので、時折、ミュージカルであり、少なくともカラオケでシューベルトを歌う男が登場し、生バンドが "墓場さえもフェンスに縛られている "といったコミカルで殺伐とした歌詞の曲を演奏する映画である。
そして、おそらく何よりも、カウリスマキが彼にインスピレーションを与えた映画作家たちに敬意を表している。
その何人かってのは(ロベール・ブレッソン、ジャン=リュック・ゴダール、ジム・ジャームッシュ)あからさまに謝辞を述べている。
その他の引用(サーキ風の照明に照らされた雨の窓、『めぐり逢い』から借用したプロットポイント)は、物語とミザンセーヌ(おおまかに『作品の筋、登場人物を作り出すこと』を表す語で『演出』)に流れるように統合されている。
今作品はかなり短い映画やけど、内容は濃く、演技も台詞もセットも渋く、通常の映像の洪水に慣れている。
しかし、多くの人々には魅力的に感じられないかもしれないが、このミニマルな演出は、感情のための広大な空間を残してる。
登場人物たちは不安定な生活を送っていて、彼らは日々、悪徳上司、貧困、失業、中毒といった労働者階級の苦悩や苦難に直面している。
このような暗黒を背景に、映画は明るく、滑稽でさえある。
人生は脆く感じられるが、登場人物たちは連帯、希望、愛も見出している。
それがこの映画の政治的で詩的な意味なのかもしれない。
小生は喜びと笑顔で小劇場を後にしました。
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