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枯れ葉のGyGのレビュー・感想・評価

枯れ葉(2023年製作の映画)
3.5
思いつくままの感想です。

★マクロなレベルで
ホラッパ役のユッシ・ヴァタネンですが、面長瓜実顔で無表情にセリフをつぶやくのをみて*、バスター・キートンを思い浮かべました。
もちろんキートンの所作は大振り、ヴァタネンは大人し目という違いはあっても、劇が進行するにつけキートンライクにみえてくるこの不思議さ。

で、キートンといえば、チャップリン。
こちらのビッグネームは犬につけた名前や主人公が明日に向かって歩いていくラストシーンでその名を連想させます。
いや、連想というより強めの示唆を感じます。

カウリスマキ監督は何のためそんな連想ゲームをしたのか?
チャプリンだけでなく、キートンにも本作を献呈したように思えます。

★内容、演出の観点で
時間が逆転するシーンは感じなかったものの、いくつかの時代層が一画面に同居した感じがあって、デジャヴではないが時空感をくるわす効果があって、これは一体いつの話なんだろう?となります。
ウクライナの戦況が流れることでやっと脳内時間を較正し、自分のいる今を知る。
この繰り返し。二人の恋の成り行きに陰影を与えているようです。

ラブストーリーというには途中を端折りすぎ、しかしラブストーリーとしてのシノプシスは正統的です。

食器のカチャカチャ音、街なかの環境音は、セリフの少ない本作ではノイズ系音楽のように聞こえてきます。
ラジオの戦況報道すら例外ではないものの、何度も繰り返すうち、病院とか死傷者とかの言葉がフィンランドに忍び寄る軍隊の靴音のように、不穏な状況を伝えるサイレンのように変化していくのを感じます。
これが意図した狙いなのか、監督の望外の望みだったのかはさておき、じつに効果的な演出方法であり、この一点だけでも記憶に残る映画になると思います。

館を出てポスターに描かれた二人の食事風景を眺めていると、食器・料理のシズル音、スタスタノコノコわんこと歩く穏やかなラストシーンまで、一気に思い出しました。

帰りすがらは、アンサとの出会いがなければと仮定して、ホラッパのことを考えてみました。
 働いたあと、川の流れをみながら気持ちを休め、酒場の人いきれで身体を温め、家路にいそぐのだろう。ドラクエの村人おじさんのように淡々と暮らしていくのだろう、と。

ひと粒で二度も三度もおいしい映画でした。


*デッドパン(dead pan)といわれる演技
(ご存知の方は読み飛ばしてください)

最初に評判とったのがキートン、それ以降洋画にはよくでてきます。
アフォリズム、褒め言葉、ユーモア、皮肉などをブッキラボウな顔して短いセリフで感情米酢にサラッと言う、そんなシーンは大体これです。
ハードボイルド系(例フィリップ・マーロウ)、英国のハイソ系(例ダウントン・アビー)、これを欠くともう映画ではなくなるでしょう、多分。

とっぽい設定ならジム・ジャームッシュ、日常的なら本作監督が有名ですが、特に強調しなくてもいろんな映画でみかけます。

記者会見の多いミュージシャン芸能人には上手い人がいて、リンゴ・スターは天才的です。

笠智衆のあの喋り方はシニック感がなくても、デッドパンに通底した面白みを感じます。

嶋田久作さん、山下達郎のFOREVER MINE 2005年版MVに出てくる彼はヴァタネンに似ているし、デッドパン要素も備えた役者です。

デッドパン使いの最左翼がジョナサン・スイフトとすれば**、カウリスマキは中道左派な感じでしょうか。
ただ、スイフトは狂気じみたところもあるうえ生きた時代も違うので、今日的なスケールに直せば、皆さん穏健派になるかと思います。
**司馬遼太郎「愛蘭土紀行Ⅰ」死んだ鍋 130-141pp
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