ねこみみ

関心領域のねこみみのレビュー・感想・評価

関心領域(2023年製作の映画)
3.8
試写会にて。
上映後に、ジョナサン・グレイザー監督、音楽のミカ・レヴィ氏、プロデューサーのジェームズ・ウィルソン氏によるZoomでのティーチイン付。


これまでナチスのホロコーストを描いた映画は多数存在する。

個人的に、こういった根深い問題×人間の感情をテーマとした映画を鑑賞することは、自分が体験し得なかった歴史や自分の外の人生、世界、感情、考え方を体感する・想像することに繋がるため特に興味がつよい。

それは、人生とはできるだけ沢山の体験をし、何かを感じとり、想像力を広げることに意味があると思っているから。(つまり、人生に意味なんてないってこと。)

そのため、ナチスをテーマにした映画はこれまでわりと意識的に選んで観てきた。
ナチス・ドイツのユダヤ人迫害は、到底想像し得ない感情と倫理に基づいてできあがった史実であり、これを理解することは二度とこんな馬鹿げた歴史をつくらないために重要だから。

本作は、ホロコーストの実態を映像として観ることはない作りであるため、実際に何が行われたいたのかについての知識が薄い人がこの作品を観た時にどこまでのことを感じ取れるのかはわからない。

以下ネタバレ











画面上としては、特に何も起きない。
だけど、その壁の向こう側で何が起きているのかはよく知っているし、その気配は確実に音や煙やちょっとした出来事で伝わってくる。
ちなみに本作と真逆の立場を描いていると思うのは、「サウルの息子」。
ユダヤ人の焼却の仕事をさせられるユダヤ人を描いた映画。
併せて観るといいかもしれない。

「落下の解剖学」でも印象的なザンドラ・ヒュラーが演じる、アウシュヴィッツ所長の妻。
本作の中でも特に「無関心」の強いキャラクターであり、それはホロコーストのみならず、「自分」以外の全てに無関心とも言えるような人物。
自己中心的で威圧的な様子は、落下の解剖学を思い起こす。

一見幸せそうに見える暮らしの中で、息子や母親は、妻と違いすぐ隣に存在するホロコーストの気配を無視できない。その心の温度差が各所で表現され、不安が忍び寄る。

サーモグラフィーで撮影された、隠れてりんごの配布をする少女は、監督の「時代背景もあり自然光のみで撮りたい」との意図の中で夜間の動きを撮るためにサーモグラフィーが最適だったからとのこと。
しかしながら、ここで明るく映る少女やりんごは、まるでそこに心が通っているその温度を表現しているようにも感じられた。

そして人物や出来事を追うことなく、定点で撮影される映像。
これは、そこに生きる人を覗き見ているような感覚を呼び起こしたいという意図とのこと。
画面上で、登場人物たちとの一定の距離感をもつことで、ホロコースト←登場する家族←観客、という、我々の"関心領域"が試される状況が作り出される。

本作では、登場人物に感情移入することは求められていない。あくまで、我々もここでおきていることの傍観者だ。

美しく明るい映像と対比するように、常に聞こえる焼却炉の稼働音や人間の叫び声、銃声。
隣の敷地であがる煙に、においまで想像してしまう。

無関心なようで、着実に何かが蝕まれていく所長(夫)。
子供たちの精神的な成長、幼少期に体験した異常な倫理観が今後の人生にどう影響していくのかも非常に心配になる。

ラスト、突如として差し込まれる、現代のアウシュヴィッツ=ビルケナウ博物館の掃除の描写。
無心で掃除されてゆく床、焼却炉、犠牲者たちの履き潰した靴が展示されたガラス。清掃員はそこに対して無関心だ。
先程まで見ていた世界は確実に存在していて、私たちはそれに対して無関心な傍観者であることを突きつけられる。
そしてまた戻る、数百人をいかに一気に殺すか、を仕事としているルドルフの呆然とした描写。

エンドロールの音響がいちばん恐ろしい。
冒頭にも、しばらく真っ黒の画面に悲鳴のような音だけが響く時間があるが、これによって観客に聴覚を意識させる狙いがあるとのこと。


私は常々、自分の外のことに対してどれくらい関心を持ち、自分事と捉えるのが正解なのかということを考えている。
この正解は基本的に個人のキャパシティによると思っているのだけれど、決して無関心の全てが悪ではないと思う。

自分の手に負えないことまであるゆる領域に関心を持ち自分事として考え始めたら、心も時間もいくらあっても足りないから。
関心をもつのは悪いことじゃない。でも、じゃあ、世界中で起きているあらゆる紛争のすべてに関心をもち、それら全てをとめるために働きかけることなんでできるだろうか?

戦争や紛争といったわかりやすいものだけじゃない。
SNS上の誹謗中傷は?クラスのいじめは?ご近所のトラブルは?見ず知らずの人が巻き込まれた事件は?

すべてに介入することなんて不可能だ。心がやられてしまう。
だけど、だからすべて他人事と思ってしまったら、それは世界の終わりみたいなもんだ。
自分の心の健康を保てる範囲で知っていくこと。自分にできる範囲で行動を起こすこと。

知らないことは悪いことじゃない。
でも、知らないからといって、決してなかったことにはならない。

現代はネットが発展しすぎたせいで、あまりにも大量の情報が入手できるようになってしまい、そのせいで取捨選択がめちゃくちゃ難しくなった。だから無関心でいるのがいちばん楽だ。
それでいいのか?


この作品は、単にホロコーストの恐ろしさを描くものではない。
現代に生きる私たちに、無関心の恐ろしさそのものを気づかせる構成の映画だ。

それを、観客がどれだけ感じ取れるか。
この映画は、体感させる映画。
大画面かつ音響設備が整った劇場での鑑賞をおすすめする。
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