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Dear Pyongyang ディア・ピョンヤンのmasahitotenmaのレビュー・感想・評価

3.9
在日コリアン2世(「朝鮮」籍)のヤン・ヨンヒ(梁英姫、1964.11.11生まれ)が、両親やピョンヤンで暮らす兄たちの姿を、10年間にわたって撮り続けたドキュメンタリー。
原題:Dear Pyongyang
(2006、109分)
ベルリン国際映画祭NETPAC賞

①在日コリアンが多く暮らす大阪市生野区に生まれ育ったヤン・ヨンヒ(梁英姫1941.11.11ー)。
・父アボジは15歳の時、韓国の済州島(チェジュド)から日本に渡ってきて、朝鮮総連の幹部として長年働き、母親オモニも夫を支え続ける。
・1971年、父は、息子たち、つまりヨンヒの兄たち3人(18歳、16歳、14歳)を、まだ見ぬ「祖国」北朝鮮へと「帰国」させ、生活に必要な様々なものを送り続ける。
・ヨンヒだけは日本に残り、朝鮮学校に通い民族教育を受けて成長するが、次第に違和感を感じるようになる。
・祖国に忠誠を誓うモデル家庭の中で育ったヨンヒは、1983年、学生使節団として初めて北を訪れ兄たちと11年ぶりの再会をする。そこで、北の現実を感じる。
・その後、ヨンヒは何度か北を訪れる。
・2001年10月、万景峰号で両親と渡航しピョンヤンにいる兄たちと再会。これが、家族全員が集まった最後となる。朝鮮総連幹部である父親の75歳の誕生日と結婚50周年のお祝いパーティーが開かれ、参加者は北朝鮮全土から総勢100名(費用は全部両親が支払う)。

・最後は2005年の正月。2004年に脳梗塞になった父親の映像で終わる。

①在住の家族
・ヤン・ヨンヒ
・父アボジ
・母オモニ
②北朝鮮に「帰国」した兄たち
・長男:妻と息子がいる。
・次男:妻と娘がいる。
・三男

日本に生まれ、熱狂的な北朝鮮の信奉者である父親のもと愛国思想を植えつけられて育ったヤン・ヨンヒだが、父親の思想に反抗し家を出る。
朝鮮総連の幹部だった父アボジは、今でも、祖国(北朝鮮)と金日成(キム・イルソン)及び金正日(キム・ジョンイル)に忠誠を誓い、子どもや孫たちも北への愛国心を植えつけることが使命だと思っている。
従って、家庭内での北朝鮮への批判、韓国籍や日本籍への変更は許されないことであった。
冒頭の場面で、父アボジは娘であるヨンヒに早く結婚しろと言うが、日本人やアメリカ人はダメだと言う…。
このドキュメンタリーでは、ヤン・ヨンヒが感じてきた違和感や葛藤が、愛する父親への素朴な投げかけや日常の会話でのやり取りのなかで表現されている。
また、この作品発表後に北朝鮮から入国禁止処分を受けることになったヤン・ヨンヒが、兄たちに会いに北に渡航した際に撮影した映像は、今となっては、北の現実を捉えた貴重な映像になっている。
彼女の作品は、私たち日本人にはどれも必見です。

最後に、冒頭のクレジットをそのまま掲げておく。

「1910年
朝鮮半島は日本の統治下に置かれた。
全ての朝鮮人は「皇国臣民」とされ
名前さえも奪われた。

1945年
第2次世界大戦が終結、
朝鮮半島は開放されたが
北には旧ソ連、南にはアメリカが介入することとなる。

1948年
朝鮮半島の南には大韓民国、
北に朝鮮民主主義人民共和国の
ふたつの政府が生まれ
民族分断の悲劇が始まる。

1950年から
3年に及ぶ朝鮮戦争を経て
南北の対立が激化する。
その対立は今も終わっていない。

本国の分断は
日本で暮らすコリアンたち
「在日」にも大きな影響を与えた。
在日の人権活動も
強い政治色を帯び二極化していく。

在日は、ほとんどが半島の「南」出身であるが、
政治的背景と選択により
韓国籍、日本籍、「朝鮮」籍に分かれる。

そのなかで、
北を支持する在日朝鮮人総聯合会「朝鮮総聯」と
南を支持する在日大韓民国民団
「民団」に分かれた。

同じ朝鮮半島「南」出身者同士の
イデオロギーの対立が激化するなか
在日は、生活苦の貧困と同時に
日本社会での激しい民族差別に
苦しんでいた。

当時、韓国の政治経済状況は
不安定であり、一方で旧ソ連の影響下
経済的成長がみられた北朝鮮に
多くの在日が希望の光を求めた。

1959年から
20数年間の「帰国事業」で
9万人の「在日」が北朝鮮に渡る。

「民族の大移動」と美化された
マスコミの報道と
北朝鮮を「地上の楽園」とした啓蒙に
多くの「南」出身の在日が希望を託し
「北」へ渡った。

多くの「帰国者」とその家族が
日本と北朝鮮の国交樹立、民族統一を
信じたが、未だ実現されていない。

「帰国者」と呼ばれる彼らは、
一度も訪れたことのない未知の国である
北朝鮮に渡った人たちである。
北へ渡った「在日」たちが日本に帰ることは、
今も許されないままである。

私も、あの場所で
「北」に行く家族を見送った
ひとりである。」
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