鹿伏

北極百貨店のコンシェルジュさんの鹿伏のレビュー・感想・評価

4.0

試写
思い出したので書く。

西村ツチカの画をそのまま動かしているかのような主線のタッチ、うってかわってアニメのズバッ!バキッ!とした塗りが思っていたよりもハマっており、ちょっとぼやけたような、ニュアンス色の強い西村ツチカの絵柄が好きだけどこういうアプローチもいいな〜と思った。百貨店がキラキラしてかわいいね。漫画作品がアニメーションになり、バトルものなんかはキャラクターの人間的な動きが細密に描かれることで説得力が増すと思っていて(『鬼滅の刃』の爆発的ヒットもそうだと思う)、でも余白をたっぷり取ってコマの間で空気をつかませたり飛躍させる作品のたぐいとは食い合わせが悪いとも感じており、本作はやっぱり後者だった。むしろ漫画的表現に優れた作品ほど顕著かもしれない(お辞儀して駆け出してゆく秋乃さんのコマ送りなど、原作だと優れた表現だがアニメーションにするとちっとも特別感もなく見える)、でもやっぱり百貨店の華やかさや描き込みや奥行き、ちゃんとお客としてたくさんのV.I.Aが訪れて楽しそうにしているさまが描かれ、漫画と違って想像の余地に頼ることが少ないアニメーションならではのよさだよな〜とも思う。

70分っていうごく短い作品なのでたぶん10分も足せば原作の終わり方でもある、秋乃さんが成長して後進へコンシェルジュのなんたるかを伝えてゆく形も取れたんだろうけど、この終わり方はたいそう美しいと思った。冒頭の「なんでも揃う北極百貨店♪」って漫画だとセリフの一部かなんかでサラッと口にされるだけでぜんぜんそのままの意味でとらえてたんだけど、肉声がついてリズミカルに唱えられると“なんでも揃う”自体にめちゃ質感がある、というか、欲望に忠実な言葉として浮き上がってくるように思えて、それは人間が種の存続とかまったく気にしないまま動物たちを欲して乱獲、挙句絶滅まで追い込んでしまった事実へとつながり、そしてこの百貨店では人間が絶滅種たちをサーブする側にまわること、絶滅種たちの欲望を叶えることの滑稽さ、その奥に見えている不穏さ、恐ろしさにもつながってくる。

実際、秋乃さんがアリブモンクアザラシに無茶な要求・欲望を突きつけられて振り回されてる場面などあのまま突き進んでいけば精神的にもまいってしまうことは明らかでしょ。自らの欲望を叶えるために相手のことは気にしない。お客でやってきた動物たちが笑顔で帰ってゆくためには悲しみやつらさがあることがけっこうはっきり描かれる(もちろん解決の仕方はその方向だけには誘導しない仕組みにしてるけど)そうやって欲望を満たし続けたゆえに多くの絶滅種を生み出した罪科の再生産というか、かつて過去にやらかしてしまった人間たちの贖罪を遂行してる構造。もちろん漫画でもある程度は理解してたんだけでそれに声と動きがつくことでもっと生々しい感じになってた。ウゥ〜〜

だからこそ原作にもあったゴクラクインコを最後に持ってきたことがひときわ輝いてる。ゴクラクインコのお困りごとを解決する仕方は“自らの欲求をモノで満たす”ではなかったこと、そしてそれが別の機会で接客して笑顔で帰ったお客様たちが自然と力を貸してくれる。そこで「欲望の反対側にある、百貨店の夢」とはっきり語られるように、笑顔は他者の痛みや苦しみの上に成立してるんじゃなくて、別の喜びと一緒に成立するんじゃないの?ということが明確に(それはまではあくまでお客様に尽くしたいという秋乃さんだけの使命だった)描かれる。そしてそれをいちばん手助けするのがバーバリライオンというのも美しい。原作でも描かれるが1960年代に絶滅したとされている種だったが、2000年代にモロッコ国王の施設動物園で実はまだ飼育されてたという事実が、人間によって絶滅した種が、また別の人間によって絶滅を免れていたということが、百貨店で働く人間がただ贖罪のために尽くすのではなくて共生できるかも?という示唆を与えてるようにすら思える。今までの贖罪の場に新しい光を見出したようにすら

原作だと物語全体の構造をけっこう突然、それもわりと露悪的につまびらかにしてザッと終わるので、それも鮮やかでカッコいいとは思うが、物語の構造としては(かなり“教育的”にはなってると思うけど)映画の方が説得力もあった。書いてたらまた観たくなった、またいつか観よう
鹿伏

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