ナガエ

ペナルティループのナガエのレビュー・感想・評価

ペナルティループ(2024年製作の映画)
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なるほどなぁ。「ループものの物語」はもう出尽くしたかと思っていたが、ちょっと前にも『MONDAYS』や『リバー、流れないでよ』など、新機軸のループものの物語が出てきている。そして本作もまた、少し変わった形でループが描かれる作品と言えるだろう。

さて、僕はこんな映画が公開されていることをまったく知らず、映画館のトイレに貼ってあった写真みたいなのでこの映画の存在を知った。そして、その程度の情報だけで本作を観たので、「ループする物語」ということ以外、まったく何も知らずに観た。

そして、僕としては、それは結構正解だったと思う。

さて、今こうして感想を書くのに、公式HPを見ているのだが、そこには本作で描かれる「ループの本質」が、「それは、何度でも◯◯できるプログラム(◯◯は僕が伏せ字にしている)」という形で書かれている。なるほど、それはオープンにしちゃう情報なんだなぁ、と僕は感じたのだが、個人的には先程書いたように、「設定を何も知らずに観た」ことがとても良かったので、この記事ではその「ループの本質」については触れないでおくことにしよう。

ただ、本作の面白いポイントは、「『ループすること』に必然性がある」ということだろう。

「ループものの物語」に多く触れているというわけでは決してないのだが、そのような物語の多くは、「ループが発生している原因は不明」か、あるいは「ループが発生している原因は、超自然的なもの」かであることが多いように思う。まあ、そりゃあそうである。普通の世界では「時間がループする」なんてことは起こり得ないわけだから、「原因不明」か「超自然的な理由」にならざるを得ないだろう。

しかし本作の場合、そういうものとは少し趣きが異なる。

少し前に、『PLAN75』という映画を観た。これは、「75歳以上の人に、国が安楽死を推奨する」という日本社会を描いた作品だ。このような社会は、まあまずやってこないだろう。現実的なことを言えば、「若者よりも常に高齢者の方が多い社会」を我々は生きていくわけで、そういう社会では、「75歳以上に安楽死を勧める」なんて政策が支持されるはずがない。ただ、そういう現実的なことを一旦無視すれば、「なるほど、あり得る設定の物語かもなぁ」と感じさせられた。

そして、同じようなことを本作にも感じたのだ。本作『ペナルティループ』も、まあ実際にはまずこんな世の中はやってこないだろう。ただ、現実的なことを一旦無視したら、「なるほどあり得るかもしれない」と思わされてしまうのだ。

そのような設定の中に「ループ」というアイデアが組み込まれているのであり、よくある「ループものの物語」とは一線を画すと言えるのではないかと思う。

さてそれでは、映画の始まりの部分は飛ばして、ループが始まるところからの内容を紹介していこうと思う。

主人公の岩森は、6月6日月曜日の朝に目を覚ます。時計からは天気や占いなどの音声が流れている。職場への移動に車に乗ろうとするとフロントガラスに鳥の糞が付いており、道の先に停まったバスに向かって園児と付添の大人が彼の車の前を横切る。職場は、野菜を作る工場であり、エアシャワールームを通り抜けて、無機質な室内で静かに作業を続ける。

休憩中。お茶を零した従業員の対応にわたわたしている中、つなぎを着た電気工事士の男がやってくる。岩森は彼の存在を視界の端に入れながら、自動販売機のある給湯室へと向かう。クスリを仕込んだカップをあらかじめ自動販売機にセットするというやり方で男にクスリを飲ませると、岩森は、駐車場の運転席で苦しんでいるつなぎの男にナイフを突き立てる……。

そしてまた、岩森は6月6日を迎えるのである。

設定を知らないと本当に、しばらくの間、何が起こっているのかさっぱり理解できない。ループ3周目ぐらいまでは本当にそんな感じだった。しかしその後、ループ中とは違う世界線の場面が映し出され、そのシーンの中に「パンフレット」が映る場面がある。そのパンフレットに書かれていた文字を読んでようやく「なるほど、そういうことなのか」と理解できた。

なんとなくだが、本作は「観客が事前に『ループの本質』を知っている」という前提で作っているような気がする。まあ、それは仕方ない。この点を明らかにせずに本作を宣伝するのは、かなり困難だろうし、それは映画を撮る段階から意識されていたと思う。そしてだからこそ、本作中では冒頭からしばらくの間「何が起こっているのか」の説明がほとんどなされないのだと思う。

ただ、僕のような「マジでまったく何も知らずに観に行った人間」にも、先に触れた「パンフレットの文言」で状況を一発で理解させるわけで、その辺りの構成はとても上手いなと感じた。

というわけで、あらかじめ設定について知らなくても、しばらく観ていれば「ループの本質」は理解できるように作られている。さて、そうなると今度は、「このループはどう終わるのか?」という点が気になるところだろう。一般的な「ループものの物語」では、まさにその点こそが展開の大きなポイントになっていく。

しかし本作の場合、この点でも予想を裏切っていく。本作の場合重要なのは「終わり方」ではない。「2人の関係性の変化」の方である。

この点については、「ループの本質」に触れずに説明するのはなかなか難しいのだが、とりあえず1つ書いておきたいことは、「岩森もつなぎの男も、共に『自分も相手もループしている』という事実に気づいている」ということだ。この点は、物語の展開において非常に重要である。

そしてその上で、「岩森の目的達成のために、つなぎの男が協力する」という展開になっていくのだ。これは、映画を観ていれば明らかに「奇妙」と言える状況である。そしてまさにこの点こそ、役者の演技力に掛かっていると言える。

僕は、出演作を観る度に「若葉竜也って上手いよなぁ」と感じるのだが、それは本作でも同様だった。若葉竜也演じる岩森は、普通にはまず連続しないだろう心境の変化を絶妙に成立させているように見える。

岩森の振る舞いを、例えば字面だけで説明されたとしたら、「いやいやいや、そんな風にはならんやろ」と感じると思う。しかし若葉竜也はそれを、「なるほど、そうなってしまう可能性もあるはあるのか」みたいな状態にまで持ってこさせてしまう。その説得力の生み出し方がとても上手い。特に岩森の役は、メチャクチャ上手い役者が演じないと成立しないと思うので、若葉竜也というセレクトはホントに大正解だったと思う。

恐らく人類が永遠に経験することがない状況だと思うので、想像するのも難しいのだが、しかし実際に岩森のような立場に置かれたとして、彼のような振る舞いになってしまうものだろうか? それはなんとも分からないのだが、しかし、もし岩森のような振る舞いが決して不自然ではないのだとしたら、それは「どんな二者の間にも、通じ合う可能性がある」ということにもなるだろう。いや、そんな教訓めいたメッセージを無理やり読み取ろうなどというつもりはないのだが、「岩森の振る舞いがリアルに感じられる」という事実から考えられることはあるのではないかと感じた。

さて、最後に。個人的には、まったく設定を知らずに観て満足出来る作品だったのだが、しかし、公式HPで「それは、何度でも◯◯できるプログラム」という形で「ループの本質」を“ネタバレ”しているのなら、その部分をより掘り下げていくような作品にも出来たのかなぁ、という感じはする。「エンタメ」と「社会派」のバランスを取って本作のようになったのだと思うのだけど、個人的には、もう少し「社会派」の方向に振っても良かったように思う。
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