どするん

四月になれば彼女はのどするんのネタバレレビュー・内容・結末

四月になれば彼女は(2024年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます


原作とは違うストーリー
弥生の写真が出てきた時は驚いた。
でもメッセージは同じだったし、また楽しめた。

原作が好きだったし、試写会で浮かれてたし、上映後のティーチインで色々聞けたのもあってかなりバフのかかった評価かもだけど、でも映像も俳優陣の演技も含め素敵な映画だった。



恋愛を通じて生きることが何かを問われた映画だった。

試写会のティーチインで原作者の川村元気さんが、
"海の黒は葬式、波の白は結婚式に見えた"
"弥生が最初も最後も白い服を着ているのはウエディングドレスのメタファーである"と仰っていた。

原作でも同じメッセージは込められていて、
人は生きているという実感を死に近づくことで得ると。

弥生にとってはラスト海で藤代に死から救われたんだと思う。恋愛の死から。
1回目に動物園で弥生を救った時と同じように
瀕死だった一つの恋愛を藤代がまた救ったんだと思う。

死を間近にした春は生を実感して藤代に手紙を書いた。
あの時の自分を、清洌に生きていたあの時の自分をまた生きたくて。

弥生が春に会いにいったのは、春が死ぬ間際になってまだ藤代と一つの恋愛を生きていたからだと思う。



結婚式まであと少しの藤代と弥生の関係は上手くいっているように見えてそうではない。

誕生日を祝って、相手を気遣いながら割れたガラスを掃除して、排水溝の詰まりを直そうとする。当たり前のように朝を迎えて朝ごはんを用意する。

当たり前に淡々と流れる日常こそが藤代なりの愛だと思えた。

でも、弥生は違った。身体を重ねることもなくなり、藤代が好きかどうかもわからない。このまま失うのを待つくらいなら自分から距離を置こうと姿を消す。

弥生の妹に言われた本気で探してるわけじゃないと言う言葉も、タスクに言われた安全地帯から馬鹿にしてると言う言葉も、藤代にとってはきっと心当たりがあって、自問自答を繰り返してどうすればいいのか答えを探す。


ポートレート以外を撮る藤代は人と向き合うことを避けていたが、春はそこにあるけど見えないもの、空気や匂いを写真に映そうとしていた。

ホスピスで飾られていた入所者の人たちの写真を見た時、はっとした。藤代には見えてないものを春は見ていた。

そして春が撮った弥生の写真を見て彼女の元へ走る。


藤代は春と別れた時、電車から降りなかった。
別れない道もあったはずなのに諦めた。

今度こそ諦めないように、失わないように、
春の死を経験した藤代と弥生が2人で
死にかけていた恋愛を一緒に取り戻す。

そんな映画だった。



気持ちの重なり合った一瞬を、その一瞬に想いを懸けて変化していく日々に寄り添っていく。

たとえ証明写真機で撮ったものでも、写真がその一瞬を留めて今に繋げてくれる。

手に入れたくて、手にするのが怖くて、手放して、そしてまた掴み取ってを繰り返す。

手に入れないことが愛を終わらせない方法だった。




個人的にはまさに今彼女と同じような関係で、藤代の気持ちにピッタリ重なっていて、自分はまさに失う一歩手前なんだと思った。(川村元気さんは藤代に一番感情移入できないと言っていたのは驚きだった。勝手に主人公へ投影していると思ったが、佐藤健さんと取材した離婚協議中の精神科医が合体したのが藤代だったと。)

正直なところ、映画を見て結婚含め人と付き合うということが自分にとってはやはり難しい気がして憂鬱になった。

自分だったら結婚式目前で突然いなくなった弥生に当たってしまうかもしれない。それは藤代なりの愛はあると思えたし、それを受け取らないのは弥生の我儘にさえ思えたから。でもだからこそ気持ちを伝えないといけないんだと思う。わからないから、伝わらないから。



春のお父さんどこ行ったかわからなかったし
佐藤健が若々しすぎて時代が掴みにくかったし
弥生が春のもとへ行っちゃうのびびったし
ペンタックスいいやつすぎたけど

藤井風のエンディングで全部綺麗に昇華された感じ。
めっちゃ映画にあってた。




2人はまたわからなくなってしまうかもしれない。
手を掴む前に離そうとしてしまうかもしれない。

それでもきっとまた手を取り合える。
何度だって会いに行ける。

あの一瞬が今を繋ぎ止める。
どするん

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