カズマサ

四月になれば彼女はのカズマサのレビュー・感想・評価

四月になれば彼女は(2024年製作の映画)
2.3
原作読んでる勢から言わせると完全に「別物」。よく川村元気OK出したなと思ったらエンドロールで脚本に関わってて頭を抱えた。

タイトルの「4月になれば彼女は」には同名の曲があり、原作でも登場人物の大島(映画では未登場)が歌うシーンがある。まさかその曲を流さないという。タイトルの意味とは…

ちなみにこの大島が出ず、春のお父さんが出てくるという設定を知りかなり不安を覚えていたが見事に的中。藤代と春と大島の三角関係がごっそり無くなり、娘への狂気じみた溺愛父に2人の関係を引き裂かれる展開に改変。改変が悪いわけではなく本筋が通っていればそれもアリかと思っていたが、春がお父さんの言うことに逆らえずそのまま別れるというなんともパンチの弱い展開。

原作では藤代と付き合っていた春に大島がカミングアウトするシーンがあり、大島とも気が合っていた春はその渦中に苦悩し逃げ出す、それを見た藤代は途中まで追いかけるももう元には戻れないと悟り追いかけるのをやめる。
大島と春の関係を側から見ていた藤代の春に対する熱と、春の純粋では無くなってしまった入り混じった感情が描かれるシーンだが、映画では藤代は寧ろ無理やり海外旅行に行かせようとしたり春に対して積極的だった分原作と本筋が違くないか?という感じ。映画では藤代はちゃんと春に向き合ってた気がする。寧ろなんの面白みもない展開でこんな理由で別れたの?といった印象。

藤代と春の告白シーンも原作では電車から遠い花火を一緒に眺めて告白するのだがそれも改変。映像で観てみたかった分残念。

作者の川村元気が映画好きのため原作でも映画の小ネタがよく出てくる。なかでも「卒業」は藤代と弥生の関係を描いてるものとして印象的なものだがほとんど触れず。もっと一緒に映画を観てるシーン出して良かったのに。

また妹の純も豊満ボディの設定はどこへやら、原作ではかなり藤代と関わっていたが映画では華奢な河合優実がぽっとでで終わり。

ラストシーンもインドのバラナシだったか綺麗な朝日が拝める有名な場所で弥生と再会する感動シーンのはずがホーム近くの浜辺でやることに。さすがに予算が厳しかったか。

原作はちょっと大人向けのシーンも多く、純愛映画にするのに改変は必要だったのかもしれない(純愛映画にする必要は無かったと思うけど東宝だから原作まんまは許されなかったのか)。また映画にする分尺を削るために1ヶ月に一度手紙が来る設定も改変するのも仕方ない部分はある。

でもここまで変えてしまったらそれは別の物語。原作を読んで映像で観てみたかったシーンが再現されず、話の本筋やキーポイントを変えちゃったら原作知ってる人からしたら納得いかない。

この脚本に原作者本人が入ってなかったらこの感想で終わってたんだけど、本人が関わっておいてこのクオリティはいろいろ映画作りに闇があったんじゃないかと疑ってしまう。山田監督は映画処女作になった訳だけど納得してるのかな。綺麗な画を撮る人なだけに勿体なかった。

ちなみに主題歌の藤井風の「満ちてゆく」は素晴らしい曲だったと思う。内容をしっかり抑えた上で解釈した歌詞とメロディがほんとに美しかった。
予告を見た時は主題歌と相まって期待値凄かったんだけどなぁ…

川村元気自身、彼の小説で映画化した作品はなんともヒットしない。「世界から猫が消えたなら」と「百花」は良かった部類(「百花」は作者本人が監督を務めてるのにも関わらず物足りない部分が多かったが)
映画ディレクターとして小説家としてヒットメイカーである彼でも至らぬ部分があるのかもしれない。
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