このレビューはネタバレを含みます
アルジェリアのバレエダンサーのフーリア。母でありコーチのサブリナに車を買うために夜な夜な闘山羊の賭博に通い、負けた山羊の飼主のアリに襲撃されて脚を壊され声を奪われた。懸命なリハビリにより再び踊れるまでに回復したフーリアが抱いた新たな目的は、リハビリ施設で知り合った唖者や心に傷を負った者たちに踊りを教えること。野放しにされたアリやその仲間の警察組織に家を荒らされダンススタジオを閉められ、さらにスペインへ海路での密入国に出た親友のソニアが水死体となって帰ってくるという悲劇に見舞われる。それでも、踊りたいという教え子たちの情熱や母の悲しみがフーリアを突き動かした。かつて闘志を燃やしていた母の知人の弁護士を再び奮い立たせ、フーリア自身も母と共に自宅アパートの屋上をダンススタジオにしてレッスンを再開した。およそ倍に増えた教え子たちと共に、海に沈んだ親友のためにつくったダンスを踊り、亡きソニアの遺影の前で彼女へ捧げた。
だいたいそんなかんじ。
おい、ダンススタジオ覗きに来てた壁芸術ニキども(博士と修士)、見直したぞ。壁に沿って立って首凝り防止のためにスプリンクラーみたく左右に首振りながら片脚だけ膝下を壁に垂直に突き立てるだけじゃなかったな。
閉められたダンススタジオに現れた見知らぬ男について、フーリアが掌に書いた「ALI」の3文字で何者かわかったってことはそいつが恩赦された元テロリストで警察組織を味方につけてることも聞いてるだろうし、言動を見るからにあんなイヤイヤ期のまま体だけ妙にでかくなったみたいな奴何をしでかすか分かったもんじゃねえから普通おっかないけどな。みんなで追っかけて行きよった。
たぶんゴッドファーザーのアル・パチーノだったらあいつの山羊の頭刈ってベッドに潜り込ませてる。
恩赦された奴は厄介なのだと。もう警察までそいつの味方になるから。もう1点、警察のあのコスプレおばちゃんみたいなのがサブリナとフーリアにダンサーか聞くところがあった。さらっと流れただけだったけど、その辺にも根深い問題があるのかな。要は職業差別でダンサーは下に見られてるとか。だとしたら警察にとっては、まともに取りあう必要もないザコ市民が我が組織の宝を逮捕しろと言いに来たってなかんじだろうか。ならまあ無視するか。
いや、無視ならまだよくて、事件とは無関係なダンススタジオにまで手を出してきやがるんよ。0ならまだマシだったかもしんないけど、こいつらむしろ負の働きをしてきやがるわけか。
「警察が無能とでも?」ですって。そうだよ。ようそんなん開き直って言えるな。
サブリナの知り合いの弁護士先生だって、かつてはあんな熱血先生だったらしいのにすっかり牙を抜かれちまって。流血だの何だのかんだのと地獄を見たから、もう戻りたくないんだと。暴力にまで頼って徹底的に潰しにかかってくるんだ。やば。
「警察が無能とでも?」ですって。そうだよ。
ダンサーが挫折して立ち直るってだけなら脚をへし折るだけでよかったのかもしれん。でも、本作ではわざわざ声まで潰してるんだよな。たぶん意図あるよな。意図というのはおそらく、徹底的に軽んじられる弱者のことを表したみたいな。彼らからしたらたぶんどこにも自分らの声が届かなくて、そんな人たちがいっそそもそも声が出せない人たちとして描写された的な。
でも、そんな彼らの無音の言葉を拾ってくれようとする人たちもいたな。そんなに解りやしない手話をがんばって解ろうとしてくれた人(というかソニア)とか。弁護士先生も最終的にまたやる気出してくれたし。
言葉を持たない者たち同士の間での言葉の代替がダンスだったのかも。あと、彼らの結束を示すものだったり、不当に抑えつけられても黙らねえぞっていう決意表明だったり、いろいろとダンスという行為に託された意味は多かったかも。てか、フーリアがソニアに捧ぐダンスに手話を取り入れてたみたいに、直接的な意思疎通手段としてもそういえば応用し得るのな。
まとめると、存在を無視されて抑圧されようが黙らない弱者たちの結束の話ってかんじかなと思った。そもそもそんな勇気を持たねばならない社会がクソだけど、そんな勇気を持つ彼らが生きているうちに光が差してほしいと思う。
あとクードリさんは良い。