くまちゃん

グランツーリスモのくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

グランツーリスモ(2023年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

ドライビングシミュレーターを極めたら本物のレーサーになっちゃった人。この激レアさんはニール・ブロムカンプによって映画化された。

グランツーリスモは山内一典によって実在の車種をリアルな運転操作と走行動作で誰でもカーレースを体感できるリアルドライブシュミレーターとして開発された。その圧倒的な爽快感と没入感は世界中のゲームファンを虜にし未だに新作が発表されている。
そんな中、前代未聞のプロジェクトが発表される。GTアカデミー。つまりグランツーリスモのプレイ成績が優秀な者をプロのレーシングドライバーとして育成しデビューさせるというものだ。
当然ゲームと現実では全く異なる。リセットの利かないリアルなレースで挫折と痛みと苦悩を抱えながら、ヤン・マーデンボローは恐怖と向き合い、未来と向き合い、家族と向き合うことになる。

ダニー・ムーアはGTアカデミーを発案し、始動させる。自身のコネクションをフル活用し何人もの相手にコーチを頼んだが全て断られた。ゲーマーをプロレーサーに育てるなど無謀だからだ。最後に声を掛けたのが旧知の仲であるジャック・ソルター。ジャックは元レーサーだったが事故により引退、現在までメカニックとしてレースに携わってきた。
これは一種のバディ物であり、お仕事映画でもある。営業のプロダニーとカーレースのプロジャック。この2人がタッグを組むことで物語を大きく推進させている。GTアカデミーでの最終レースで接戦の末ヤンが勝利した。ジャックはそのままヤンを勝者とするが、ダニーは僅差だからとマティを勝者にしようとする。マティの方がマスコミ対応がうまいからだ。またヤンが初めての実践レースで敗北した後、ダニーはまだチャンスはあると励ましの言葉を述べる。しかしその直後ジャックにはマティにしておくべきだったと本音を漏らす。ジャックが頑固で生真面目な職人タイプならダニーは本音と建前を使いこなすビジネスマンタイプ。性格が異なる2人にはレースに対する熱い想いが通底する。

ジャック・ソルターは言った。プロのドライバーには知性と感受性が必要であると。運転するものなら誰でも経験があると思うが、怒りや悲しみや心が不安定な状態で車に乗ると自然とハンドルやアクセル、ブレーキに力がこもってしまう。煽り運転や不必要な急ブレーキなどはその極端な例だろう。つまり感受性は運転の弊害になるのではないか?知性とともに冷静さが不可欠なのでは?しかしその答えは物語後半に示される。
事故のトラウマによりスピードが出せないヤンに対しジャックはインカムで音楽を流しヤンの心を挑発する。頭に血が上ったヤンへのジャックのアドバイスはレースにぶつけろ。感情をレースにぶつける。勘違いをしていた。感情は運転の邪魔になるものだと。判断力を鈍らせると。だが実際はその感受性こそが最大の武器であり、感情を爆発させながらも冷静さを保つ。それがプロであることを思い知らされた。反射神経のトレーニングでは頭ではなく身体で反応しろとジャックが言っていた。一瞬が生死を左右するレースの世界では脳を中継している暇がない。それでは遅いのだ。細かな対応や判断は動体視力と肉体が即座に行う。予想を遥かに上回るシビアな世界で喜怒哀楽の全てをハンドルに、アクセルに預ける。感受性が運転の弊害になるのはアマチュアに過ぎないのだ。

ル・マンでの終盤、脚の攣ったチームメイトの代わりに予定より早く運転席へ乗り込むヤン。急だったからだろうか。若いメカニックの手が滑りタイヤのナットを落としてしまった。焦るヤンとスタッフ一同。レースでは0.1秒の差が勝敗を分ける。その時、スタッフをかき分け颯爽と駆けつけ、ナットをインパクトで装着しおまけに予備は持っておくようアドバイスをした人物がいた。ジャック・ソルターである。彼はレーサー引退後、しがないメカニックとして燻り続けていた。だがそれは決して無駄ではない。周囲に文句を浴びせられながら整備に明け暮れた日々は今この瞬間のためにあったのかもしれない。

今作にはグランツーリスモ、カーレース、日本、そして山内一典に対する深い尊敬と愛情が詰まっている。
ゲームを題材としながらカーレースに比重を置き、ゲームとリアルなサーキットの絶妙な融和が見るものを激しく引き込みこれ以上ない疾走感を味わわせる。
部屋から車へ、車から部屋へのトランスフォーメーションは、夢を見ることしかできなかったゲーマーが夢を叶えリアルなサーキットを走っているというシンデレラストーリーを象徴した演出といえる。

記録によればニュルブルクリンク耐久シリーズにてヤン・マーデンボローがクラッシュし、観客1名を死亡させた事故が発生したのは2015年の事。そしてル・マン24時間レースにて3位入賞を果たしたのは2013年。事故の2年前である。これはどういう事なのか。この事故は映像として現存しており映画内ではかなり忠実に再現してあることがわかる。今作でヤン・マーデンボローは事故によるトラウマを克服し勝利することで観客へ極上の興奮と快感を与えている。しかしこの順序が異なれば事故の捉え方はまるで変わってしまう。この出来事には被害者がいることを忘れてはならない。遺族からすれば悲劇を肯定されたように感じてもおかしくはないだろう。
今作が事実を元にしたフィクションであればオリジナリティがあってもいい。しかし今作は事実を追った伝記映画なのだ。多少の脚色はあれど事実と異なるプロットは果たして許容できるのか。
興味深いサクセスストーリーなだけにこの点は非常に残念である。
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