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瞳をとじてのISHIPのネタバレレビュー・内容・結末

瞳をとじて(2023年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

ビクトルエリセ監督作は僕は初めて観ました。「ミツバチのささやき」「エルスール」知っていたのですが…後回しにするのは良くないね。いつまでもあると思うなTSUTAYAとその在庫。
なので、過去作と結びつけて何かを語ったりすることは出来ない。きっとあるんだろうなあ。良いなあ観てる人。
わりと淡々と進むようだけど(1/3くらいで眠くなりだしたけど堪えた。偉い!僕!)、随所に良いシーンあるんですよね。昔の彼女と再開して暖炉の前で話したり歌を歌ってもらうシーン、良かったなあ。
繰り返し登場するモチーフは、人の名前が変わっていく、というもの。冒頭の「悲しき王」も4度名前を変えた、と言っていたり、もちろんフリオもガリエリと呼ばれているし、主人公もミゲルだけどマイクと呼ばれている。「別れのまなざし」内での女の子も本当の名前と中国名?芸名?があった。これが何なのだろうと考えたんですけど、人の存在の不確かさというか…逆に言えば自由さとも言えるような気もするんだけど。でもどちらかと言えば劇中では不確かさというか記名性の薄さ、みたいに感じた。あとはなんか名前と記憶は結びついているものというか。フリオにしても、王の娘にしても、「あの頃」を取り戻そうとするというか。逆に、フリオの娘であるアナは、フリオに覚えられていないことで、アイデンティティが揺らぐというかその頃の自分とは決別するような感じに思えたんだけど。
その不確かさとは逆のものとして登場するのが、写真、音楽、そして映画だ。写真はフリオであると確信するところで使われる。「別れのまなざし」内で娘を探すための写真がフリオと確信するものに使われるの、たまんないね。音楽は、その歌を聴くことでその時の事を想起させる役割だったと思う。けれど、そのふたつはフリオにはその目的では機能しなかった。そこでフリオ始め、ほかの登場人物も混じえ、「別れのまなざし」を観ようということになる。こっからの流れホント最高だったよね。映写機確認したり、シアター掃除したり。映画の、フィルムにその時のことが焼き付いていて、そしてそれが動くという「確かさ」(映画って写真の連なりと音によって成り立ってるよね…)。フリオはそこに映る自分を観てどう感じたのだろう。自分のことを思い出しているかはさておき、映画というものに魅せられているように見えた。彼の心は動いていたんだと思う。この「確かさ」みたいなことは、そのまま、「映画というものの存在の確かさ」に繋がっているように思える。劇中は2012年とか言ってたと思うけど、その時点で上映に使われた映画館は閉鎖されていた。けれど、フィルムで、映画館で映画を観るということは、無くならないよね?っていう。あれデータじゃないのがすごい大事よね。「これ全部データ化するとか無理だろ」とか言ってたりね。タバコももはや吸える場所なんかなくて、過去に追いやられようとしている。そんなモチーフが沢山登場していると思う。データ的なものも、不確かなものって感じがする。映画についての映画だったのかなあと思いました。
今日、劇場のお客さんの年齢層は高めだった。終演と同時に、拍手がパラパラと聞こえた。映画館で映画を観るっていい体験になるんだよなあ。そう思えた良い日だった。
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