寝木裕和

瞳をとじての寝木裕和のレビュー・感想・評価

瞳をとじて(2023年製作の映画)
-
ものすごい映画。

いや、ものすごく … 映画に対する愛に満ちた、映画だった。

あの、『ミツバチのささやき』で少女アナ役を演じたアナ・トレントが約50年後に同じ役名のアナを演じたことも大いに話題になっているけれど、それとて、一切の外連味なぞ感じさせない。
その演出に、この作品のテーマといえる一貫した「意味性」が受け取れるからだ。

人の記憶の正しさが大事なのか…
だとするなら「魂」が掴んだものに意義はあるのか…

かつての親友、映画監督のミゲルと、俳優のフリオ。
前者は20年以上も長編映画を撮らず、半ば隠遁状態である身。
後者はある時突然 失踪し、数十年ぶりに現れた時には記憶を一切失くしてしまっていた…。

その二人それぞれの内側に残っている「記憶」と映画として残っていた「記録」。

ミゲル、フリオ、二人ともの旧友でもある映画技師のマックスが言う台詞に映画好きなら思わずニヤリとするだろう。

「カール・ドライヤー以降、映画界に『奇跡』は起きていない。」

でも。
ラストの、ミゲルがフリオの記憶を呼び起こそうと、かつて二人で作り上げようとした映画を見せた時のフリオの表情。
もちろん、その表情から、『奇跡』が起きたのかどうかの結論は、観た者に委ねられている。
けれど私は信じてやまない。
「記憶の正しさ」ではなく、写真の中、かつて二人 海の前で肩を組んで笑っていたのと同じように、あの頃の「なにか」… 魂の中で共鳴し合った「なにか」が、二人の中に戻ってきたのだと。記憶を失くしたはずであった、フリオの中にも。

… 忙しない毎日の中で、いわゆるSNSなどで顔の見えない繋がりに意識が行きがちな現代に、「魂の繋がり」についての作品を贈り物のように届けてくれた巨匠に、落涙を禁じ得ない。
寝木裕和

寝木裕和