Ricola

瞳をとじてのRicolaのネタバレレビュー・内容・結末

瞳をとじて(2023年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

人はどういうときに目を閉じるのだろう。眠りにつくときも死ぬときもそうだが、そういった人間の生物としての機能においてだけではないだろう。思考を巡らせるとき、何かに思いを馳せるとき、何かを思い出そうとするとき、そして祈るときなど…。

ヴィクトル・エリセ監督による31年ぶりの長編映画作品。それだけでワクワクした人がどれほどいるだろう。彼の綴る記憶の旅は相変わらず静かで美しかった。


失踪した元主演俳優を探しに行くことになった元映画監督。それは実際に足を運んで彼を探しに行くだけでなく、監督自身の追憶の旅ともなる。失踪した俳優フリオは監督にとって、公私に渡った仲だった。旅で懐かしい地を巡るなかで若い頃の彼との思い出がよみがえってくる。それでもなかなか本人にはたどり着けない。
フリオの娘アナ(アナ・トレント)と出会い、手がかりを掴んだ主人公はとうとうフリオにも再会するのだ。フリオと久しぶりに再会したアナは「わたしはアナ」と言い、目を閉じる。『みつばちのささやき』のオマージュであるというこのシーンのこのセリフと目を閉じるという行為からは、まるで祈りを捧げるような神聖な雰囲気を感じる。

アナとフリオが並んで座って会話をしていて、二人がほぼ同時にふいに不自然にカメラ目線となって見つめるなか、暗転する。それがまた古い映画館で繰り返されるとき、我々ははっとさせられる。
フリオの主演作においてフリオの娘役の俳優が目を閉じることと、現在のアナが目を閉じることの意味が重なるように映し出される。瞳を閉じれば、あの頃の光景や思い出が眼裏にまじまじと浮かんでくる気がする。過去とは遠いようですぐにまた出会えるのだと思える。
Ricola

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